他人の星

déraciné

キレイハキタナイ キタナイハキレイ

 

 

        目を 伏せて ずっと

        下を 向いて 歩いて いたら

        いつの間にか 季節は うつり

        イチョウは 黄色に

        メタセコイアは 赤茶色に

        ツタは 紅色に 染まって いた

 

        咲き つくした コスモスは 

        背丈が 伸びすぎて 道に倒れ

        小さい 真っ赤な花を たくさんつけた キクは

        みんな して こっちを 見てる

        なんだか 怒っている みたいに

 

        慢性 憤怒 状態

 

 

        ふと 気がつくと

        少女が こちらを にらんでいた

        わたしは 驚いて 口もきけなかった けれど

        心のなかは 騒然 ざわざわ していた

 

        「ねぇ どうしたの わたしのどこがへん? 

        あなたと わたしで 何が そんなに 違うの?

        どうして そんなに にらんで いるの?」

 

        少し してから やっと 気づいた

        少女は

        背筋を しゃんと 伸ばして 歩く 父母に

        そう 彼女の 神々に

        とても とても 大切そうに

        守られて 歩いていた

 

        そっか

        わたしが ますく してないから だったんだね

        あなたは あなたのカミサマから きっと

        正しさを おしえられ

        いま その 正しくなさを わたしに 見たから

        あなたは にらむことで

        わたしを 罰したんだね

 

        「ねぇ」

        わたしは 少女の 後ろ姿に

        心のなかで 話しかけた

 

        口を ふさぐものは

        ますく だけじゃない

        ますく なら 指先で はずせる けれど

        てごわいのは 

        ただしさが 心の扉に

        とてもしっかりした 頑丈な 鍵を かけてしまう こと 

 

        その 鍵 ばかりは

        指先 とか 小手先では

        なかなか はずれない かも しれない ね

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

       

僕たちの 大失敗

 

       冬のにおいが 鼻を かすめると

       みんな 家路を 急ぎたくなる らしい

 

       とっぷり 暮れた 闇は 濃くなるばかりで

       ああ 暗くて 寒いのは

       死んで 墓に入るまで 勘弁 してくれよ

 

       昼光色の 明るい あたたかい 我が家へ

       はやく はやく 帰ろう

 

       それは いっこうに かまわない けれど

 

       列に 並んで 待っているのに

       なかなか 来ないんだよ バスのやつ

 

       車 車 車車車 車が 多すぎる と

       思っては いたけれど

       まさか 

       赤い テールランプが 車種で こんなに 違うなんて

       知りも しなかった

 

       みんな こんなに 違う顔で 怒っていた とはね

 

       いまにも 泣き出しそうな 顔

       懇願 している 顔

       困惑 している 顔

       眠たそうな 顔

       ねぶた みたいな 顔

       狂気の沙汰で ぎらり にらみつける 顔

 

       みんな みんな いらいらしてる

 

       わたしも わたしの顔で いらいら している

 

       知らない おじさんが 耳に 手をやったのにも

       知らない 男の人が 頭を かいたのにも

       知らない おばさんが 時刻表を のぞき込んだのにも

       知らない 女の人が スカーフ 巻き直したのにも

 

 

       大丈夫 これは わたしの問題

       わかって いても

       いらいらは とまるものじゃない

 

 

       ようやく 来た バスの中

       わたしは ずっと 考えていた

 

       ねたみ そねみ うらみ という感情は

       なぜ 自然淘汰 されなかったのか

       苦しいし 苦しめられるし

       何も いいことなんか ないのに

 

       きいてみたら 家人は 言った

       「自分が 理不尽に 不当に扱われて

       怒りを感じなかったら 問題だろう」 と

 

       わたしは 思った

       つまり 進化上 必要だった というわけか

       われわれ 人類が 平等な世界を 築いていけるよう

       残ってくれた というのか

       この ひどく 気持ちの悪い 不愉快な 感情は

 

       しかし だからといって

       それから ぼくたちは

       それぞれが 自由で 平等な 世界を

       築けたんだろうか

       いやいや とても そうとは 思えない けれど?

 

       僕たち ひどく 失敗して

       終わるんじゃ ないか

       このまま 失速して 機体は 大破

       進化の実験は 大失敗に 終わるんじゃないか とね

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

劇中劇

 

 

       誰かの 過去が 流れる

       映画の シーン

       モノクローム の モノローグ

 

       セピア色 って 名前が素敵 と思ったら

       由来は イカスミだと 知って

       何だか 妙にかなしくて 笑った日

 

 

       子どもの とき 

       うちあげられた 落下傘花火を

       必死で 追いかけた

 

       けれど

       わたしは決して 無邪気 なんかじゃ なかった

 

       風は 気まぐれ

       落ちてくる 落下傘を 受けとめたくても

       それは 風向き 次第

       わたしの存在には 力が無い

 

       ただ 翻弄されるだけの

       運命 とは そういうものであることを

       どこかで わかっていた

 

 

       濃い 紅色の ツツジの花が あまりに 愛おしくて

       胸が痛いほど 焦がれて 憧れて

       すべてが 欲しくて たまらなくても

       ツツジの花が

       決して わたしのものに ならないことも

       わたしが ツツジの花と 一緒に なれないことも

       わかっていた

 

 

       おとなになった わたしは

       もう 手を のばさない

 

       欲しかったものが この手を すりぬけるとき

       わたしの手を 切りつけて

       血を 流させる

       その 痛みに

       いいかげん うんざり してしまったから

 

 

       映画が 終わって 映画館を 出ても

       映画の つづきは 終わらない

       映画館の 映画より ずっと いじわるな

       ノンフィクション

 

       否 

 

       ノンフィクション と みせかけての

       結局 フィクション 

 

 

       風に 流されるだけの 落下傘

       幾日か 咲いたら 枯れる ツツジの花

 

 

       まぼろしを 追いかける 日々

       もし いやになって しまったのなら

       非常口から さあ

       どうぞ 外へ

 

       いつでも 開いている

       あの 非常口 から

       外へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         涙を ながしながら みあげた 空

        「いったい 何が そんなに 欲しい?」と きいてくる

        

        澄みわたる 青の かなしみと 冷静

        情熱の 赤も かなわない 熱情の 青い炎に 

        目が 熱く 痛む

 

      

        うつむきながら 時も忘れて 歩いて いると

        太陽は 今日最期の光を 矢にして 投げる

        赤い 赤い 血を流す 空

   

        どこかの 草むらで

        ちりちりと 秋の虫が 鳴いている

        「いったい 何が そんなに欲しい?」と きいてくる

 

 

        わからない

        わからない

 

 

        それは とても 近くて 遠くて

        太陽の ようで 星の ようで

        どこまでも 広がる 闇の ようで

        隠しきれない 一条の 光の ようで

 

        愛さなければ おかしく なりそうで

        愛しても おかしく なりそうで

 

        いとおしく 恋しく 哀しく 苦しい

        切なく さみしく くるおしく

 

        すみずみまで 丁寧に 居場所を奪い

        無造作に 居場所をくれる

 

 

        「どこかへ 行ってよ」

        「どこへも 行かないで」

 

        あなたが 去ったら きっと 生きられる

        あなたが 去ったら きっと 生きられない

 

 

        二つの 想いの あいだで

        永遠に 引き裂かれる

        わたしを いったい

        どうすれば いいのか

 

 

 

 

 

 

「無神経」

 

 

        「食べなくて いい って 思っちゃうんだ」

        と 彼女は 言った

 

        もう 私を 攻撃しないで と

        笑顔で 守る 細い からだ は

        秋の陽に 透ける 蜘蛛の巣 みたいに 消えそうで

        わたしは その手を とりたく なった 

 

        けれども それは

        彼女の もの ではなくて

        わたしの 淋しさ だから

        わたしは わたしを 後ろ手に 縛った

 

        それでも 口は 勝手に 動く

        「食べて」「食べなきゃ」 なんて くどくど と

        やがて わたしが わたしに 苛立ち

        「うるさい」 と 怒鳴る

   

 

        静かに 絶望 していることに 気づかず

        ただ ただ そこで 微笑んでいるひとに

        「死なないで」 などと 物騒な言葉を かけることが 

        どういう こと なのか 

        疑いもなく いいこと なのか

 

        わたしには わからない

 

        時を 待たず

        死へと 足早に 近づいて いこうとする ひとに

        「生きて」 と 言いたく なるのは いつも

        どこか ひどく 機械的で 自動的で

 

        命 見捨てた 「人でなし」 よばわり されるのが

        そんなに こわい のか

 

        あるいは

 

        わたし だって 苦しいんだ

        あんただけ 逃げる なんて 許さない という 羨望か

 

 

        幸せへの 道のりが かかれた 地図も

        愛 という名の たからものが 隠された 秘密の暗号も

        手渡せない どころか

        自分だって もっていない 人間が

 

        どうして ひとに

        「死ぬな」 などと 言える のか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画『メランコリア』(5)

 

 「たいていの場合、動物は悲しそうよ」と彼女は言いつづけた。

 「歯が痛いとか、お金をなくしたとかいうためではなくて、人生全体が、いっさいのものがどうであるかを、しばしのあいだ感じたために、人間がひどく悲しんでいる場合、人間は真実悲しいのよ。そういう場合、人間はいつもすこし動物に似ているわ」

 

                  ―ヘルマン・ヘッセ荒野のおおかみ

 

 

 私は、動物の中でも、キリンが好きです。

 長いまつげの下の、大きな目は、何だかいつも悲しげで、もの憂げに見えて、それがとても美しいと感じるからです。

 

 動物が、しばしば、言葉では到底説明できるものではない、深淵にある真実をまっすぐにみつめているような、穏やかで静かな思索にふける哲学者のような顔をするのを、私は、自分の家で飼っていた犬に見たことがあります。

 

 夕陽に染まる庭のどこかを、じっと静かに見ている彼女が、そんな表情をしたのを見たとき、私は、何か、動かしがたいものに圧倒されるような気持ちになりました。

 

 

 

 “抑うつリアリズム”

 

 うつ病とは、「マイナス思考」、という認知の歪みを特徴とする病だ、という世間一般の認識とは、どうも何か違うらしい、ということを示す実験があります。

 

 1979年、心理学者のアロイとエイブラムソンは、うつ病者のグループと、健常者のグループに分けて、ある実験を行いました。

 

 それは、「ボタンを押すと緑色の明かりが点灯する」ことを確かめるという単純なもので、被験者に求められるのは、ただボタンを押すことだけでした。

 

 そのあと、被験者たちは、緑色の明かりが点灯することと、自分がボタンを押すことの間に、どのような関係があったと思うか、と聞かれます。

 

 実は、緑色の明かりが点くか点かないかは、実験者側がコントロールしており、被験者がボタンを押すこととは、何の関係もなかったのですが、それを言い当てたのは、健常者群ではなく、うつ病者群の方でした。

 

 興味を引かれたアロイとエイブラムソンは、さらに、実験をすすめました。

 

 今度は、実験参加者をランダムに分けて、片方のグループには、一人に5ドルずつ渡し、「緑色の明かりが点かないと、あなたはそのたびにお金を失う」と言い、もう片方のグループには、お金を渡さずに、「緑色の明かりが点けば、お金がもらえる」、と言いました。

 

 この実験でも、被験者がボタンを押す、という行為と、緑色の明かりが点くということにはまったく関係がなく、(ただし、あまりはずれても実験の仕組みがばれてしまうので、後半、被験者がボタンを押すと緑色の明かりがつくように調整していきます)、実験後に、また感想を聞きます。

 

 その結果、健常者は、お金を得られるよう努力すれば(緑色のボタンを押すタイミングさえ間違わなければ)、お金をもらえるようになる、と認識しており、自分は努力したのに、お金がもらえないのはおかしい、と考えていました。

 

 それに対して、うつ病者は、自分がボタンを押して、緑色の明かりが点くか点かないか(お金をもらえるかもらえないか)は、自分のコントロール外であり、お金がもらえても、それは偶然(運)だったと、事実を正しく認識していたのです。

 

 彼らは、こう言ったのです。 

 「だって、緑色の明かりが点くか点かないかは、そちらでコントロールしているんでしょう?」

 

 

 

 「彼は同様に正しく、ただメランコリー的でない他の人々よりも鋭く真理を捉えているにすぎないように見える」

 「どうしてそのような真理を手にするために最初に病気にならねばならないのか」

 

                        S.フロイト『喪とメランコリー』

 

 

 うつ病者の、気分が沈んで元気のない様子を見ると、多くの人は、彼らのことを、「後ろ向き」で、ものごとを正しく捉えることができず、マイナス思考に偏っている、としか見ませんが、実際には、必ずしもそうとはいえないのです。

 

 他の人なら、目をつむったり、視線をそらしたりできる現実から、目をそむけることができず、真正面から見てしまうがために、彼らはすっかり意気消沈し、落ち込んでしまうのです。

 

 

 つまり、うつ病者の問題は、「後ろ向き」なことではなく、むしろ、「前向き」すぎること、と言った方がいいのでしょうね。

 

 

 

「ぶつかるかもしれない」は「確実にぶつかる」

 

 さて、映画の話に戻ります。

 

 『メランコリア』、というのは文字どおり、うつ病、うつ傾向のことですが、宇宙の彼方からやってきたこの青い星は、地球と衝突する運命にあります。

 

 うつ病者に対して、悲観的な方向で「~になるかもしれない」、と伝えると、だいたい彼らは、ほぼ100%「~になる」、と考えてしまうかのように…。

 

 

 興味深いのは、ここで、形勢逆転、というのか、クレアとジャスティン姉妹の心理状態が逆転する、ということです。

 

 人間社会の中に、落ち着き払って居心地の良い場所を確保し、素敵に美しく暮らしてきたクレアは、惑星メランコリアが、“地球と衝突するかもしれない”可能性を知ってからは、極度の不安と心配で、みるみる落ち着きをなくしていきます。

 

 対照的に、これまで気分が沈み込み、お風呂にも入れず、食欲もなかったジャスティンは、甘いジャムを、心ゆくまでうっとり、むさぼるように舐め、お風呂にも入って、すっかり元気になります。

 

 

 破綻した人間関係のお手本から、安定した愛情をもらえなかったであろうこの姉妹は、それぞれに、どうやってそこから受けた傷を修復したのか、その方法が違いました。

 

 例えてみれば、幼い頃の家族関係というものは、家を建てる際の、(つまり、これから先の人生を生きていく上での)土台や柱のようなもの、なのではないでしょうか。

 

 ボロボロの基礎を、念入りに覆い隠し、修復し、その上に、分厚く美しい豪華な装飾を施した「家」に仕上げたのがクレアなら、ジャスティンは、壊れた基礎部分をそのままに、崩れ落ちた廃屋のような「家」にずっと暮らしてきたようなものかもしれません。

 

 一般的には、クレアのような人を、「過去を努力によって克服した」「前向き」な人、ジャスティンのような人を、「破綻した過去をいつまでも乗り越えられない」「後ろ向き」な人、と言うのでしょう。

 

 けれども、実際には、過去に背を向けたのはクレアの方で、ジャスティンは、その過去をまっすぐに見つめたままで生きてきたのだと思います。

 

 

 ジャスティンの夫になるはずだった男性、マイケルは、ジャスティンのために買った、というりんご園の写真を見せながら、こう言いました。

 

 「十年後、きみは木陰に椅子を置いて座っているだろう。その頃も、気分が落ち込むこともあるかもしれないが、りんごがきみを幸せにしてくれる」。

 

 

 りんごが、落ち込んでいるジャスティンを幸せにするなどということは、まずあり得ないでしょう。

 

 もし、ジャスティンが幸せなら、彼女の口に、りんごは甘く、とても美味しいでしょう。

 けれども、彼女が落ち込んでいたなら、りんごは苦く、まるで灰のような味がすることでしょう。

 

 そんな幻想を抱いている男性と結婚しても、うまくいくはずはなく、彼女は、それをちゃんとわかっていたのです。

 

 結婚式のばかばかしい大騒ぎ、「おめでとう」「幸せに」「愛してる」、そのすべてが、嘘くさい空虚さに満ちたものであることと一緒に……。

 

 

              

                                《終わり》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気持ち 悪い」

 

 

        ありがとう ありがとう って言うたびに

        いつも どこかが むずむずする

 

        その ことばを ならった日々を

        思い出す からだ

 

        「“ありがとう”は?」

        ママが 言った

        「お友だち」と そのママの前で

 

        もらったのが

        クッキーだったか チョコレートだったか キャンディーだったか

        忘れてしまった けれど

 

        わたしは 思った

        ははぁ わかったぞ

        ひとから なんか もらったとき なんか してもらったとき

        「ありがとう」 って言わないと まずい らしい

        しかも これはたぶん 体面 ってやつだ

        いま わたしが 「ありがとう」って 言わないと

        わたしのママも お友だちのママも 

        気持ち悪く なっちゃう らしい

 

 

        ごめんなさい ごめんなさい って言うたびに

        いつも どこかが むずむずする

 

        その ことばを ならった日々を

        思い出す からだ

 

        「“ごめんなさい”は?」

        ママが 言った

        「お友だち」と そのママの前で

 

        どっちが 何が

        うまくいかなかったのか 気に入らなかったのか

        忘れてしまった けれど 

 

        わたしは 思った

        ははぁ わかったぞ

        ひとの 気分を 害した らしい とき 

        「ごめんなさい」 って言わないと まずい らしい

        これも たぶん 体面 ってやつだ

        いま わたしが 「ごめんなさい」って 言わないと

        わたしのママも お友だちのママも 

        気持ち悪く なっちゃう らしい

 

 

       「ありがとう」のときも 「ごめんなさい」のときも

       ママの 目は 言っていた

       「はやく」

 

       重いノドを 開いて 発声したら

       口が 恥ずかしがっていた

       言いたいと 自分で 思ったことじゃ ないから

 

 

       「ありがとう」と 「ごめんなさい」は 善い言葉だから

       いつだって ちゃんと 言いなさい と

       何十回 何百回 言われた けれど

 

       言うたびに やっぱり

       何だか むずむず するし

       口が 恥ずかしがってしまう

 

       そのことば ではない

       わたしの 気持ちは

       どこへ いけば いいのか

       いつも やり場に 困ってしまって