2019-01-01から1年間の記事一覧
社会や世間にとって、安全かつ無害な人間をつくり出し、その“メンテナンス”を一手に請け負う家族。 家族に自己責任と自助努力を強いる社会であればあるほどに、個々の家族の閉鎖性は高くなります。 家族とは、家族構成員が反社会的行動や非社会的行動を取っ…
……さて、今日は、クリスマスイブですね。 別に、そういう決まりがあるわけでもないのに、クリスマスともなれば、プレゼントを買って、ケーキやごちそうを食べないと気がすまないのは、いったいなぜなのでしょう? クリスマスのケーキを、フォークでつつきな…
そして、この映画では、「しあわせさがし」に直接結びついている、どうしても避けて通ることのできない問題があります。 それは、性と愛です。 太宰治は、恋愛とは、「性慾衝動に基づく男女間の激情」であり、「一個または数個の異性と一体になろうとあがく…
探しものをする。 それも、何か、とても重要で、大切なものを探す場合、その行為や行動が、命にかかわる事態を引き起こすことになるかもしれない―。 私は、この映画を観るまでは、そんなふうに考えてみることはありませんでした。 実際、「ものをなくす」、…
何か、面白い映画が観たい。すごく、観たい。 …そう思って、レンタル屋に出かけていき、いざDVDを選ぼうとすると、いつもひどく迷ってしまい、パートナーからあきれられる、という話は、以前にも書いたように思います。(いや、確実に書きましたね)。 たし…
空虚だ むなしい と おまえは 深く とがった ため息を つく けれど にわか雨が 気まぐれに おきざりにした あの 水たまりほども おまえの 心が 何かで 満たされたことなど あっただろうか かなしい くるしい と おまえは 涙を流す けれど それは ほんとうに …
頭上を 鳥が 飛んでいく 影が 千々に乱れ わたしの 上を 通り 過ぎる その 長い 指先で さがして いるのだ いのちを つなぐ いのちを わたしは 窓を 閉めて 部屋の すみに うずくまる 気づかれ ない ように 風が 侵入する すぐ そのあとを 追って 赤い ツタ…
おばあちゃんは 季節ごと 花のたえない 明るい庭で あひるを 二羽 飼っている おばあちゃんは 遊びに来た 孫娘の つないでいた手を やさしく はなす あひるたちが 見ているから 大丈夫 と 四方を 白い柵に囲われた 庭で よく晴れた 空の下 アリスは じっと …
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、こう述べています。 「日本帝国の軍事的復活―それが新日本の真の復活なのだ―は、日清戦争の勝利とともに始まった。戦争は終り、将来は曇って暗いけれども、それでも大きな希望を約束しているかに見える。それに、今度の…
8年半ほど前の東日本大震災の際、被災地のライフラインは寸断され、当然、テレビを見ることもできませんでした。 あとで聞いた話ですが、その間、テレビでは、沿岸部のガス爆発火災など、「派手で(画になる)」場面を繰り返し流し、長崎の義母は、「これで…
防衛機制、というのは、人間ならば誰しももっている欲求や衝動(主に、攻撃欲求や性的欲求など)を、そのまま露わにすれば、場合によっては“犯罪”として罰せられ、社会から排斥される危険性があるときなどに、無意識的に発動する心の働きです。 その働きによ…
たった数分、ないし、数時間のことなのに、人生を、根こそぎなぎ倒してしまう。 大切な人やものを、一瞬にして、すべて、奪い去る。 けれども、その同じ時間に、他の人は、くだらない冗談で笑っていたり、おいしいも のを食べたり、快楽や享楽に溺れていたり…
キンモクセイの 甘ったるい むせかえるような 匂いが 苦しい わかっているよ この香りは ぼくたちの 夏の おわりの 合図 秋の 冷たい爪先が この心臓の さいごの一滴を 搾り取る まで あと すこし 赤い 紅い 秋が 目から 入って 胸から 流れ出す まで あと …
「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何にも欲しくないのだ。」 夏目漱石『道草』 お金の話………。 お金の話なんて、やめようよ。 じゃ、何の話? うーん、お金の話。 ようするに、世の中、金、金、金の話ばかりしている、ということも忘れるくらいに…
大地が 深い口を開き 赤い 血しぶきをあげれば 残るものは 何もないと ほんとうは 誰もが 知っている なのに 欲しがることを やめられないのは ぼくらが 滑車の中の ねずみだから いつの間にか 一人残らず 迷彩服を 着せられ 人いきれする 雑踏の 不快指数1…
さて、本題からだいぶ逸れてしまいましたが、話を『沈黙』へ戻します。 苦難に満ちた旅路をたどり、布教活動をし、村の人たちに救いと赦しを与える役目を果たしていたロドリゴ神父は、もし神が存在しないのならば、自分の半生は滑稽であるし、殉教した信徒の…
「死ぬか、狂うか、宗教か」 ところで、夏目漱石は、後期三部作の一つである『行人』の主人公、長野一郎に、こんな言葉を言わせています。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 『行人』 塵労 三十九 …
“神”は存在するのか? さて、幼年から思春期までの成長期を、何となく、キリスト教信仰の空気のなかですごしてきた私は、大学へ進んだ頃までは、神の存在を、“何となく”信じていたように思います。 たとえば、友人との間で、自殺についての話題が出たとき、…
掌の内に守るもの、掌の内で守ってくれるもの ところで、宮崎賢太郎氏は、日本のカクレキリシタン信仰を、「キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的日本の民俗宗教の一つ」であり、その深層には、「さまざまなフェティシズム(呪物崇拝)的霊魂観念…
「美しいものを愛する」ということ ロドリゴ神父にとって、キリストは、「自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの」であり、最も聖らかと信じたもの」であり、「最も人間の理想と夢にみたされたもの」でした。 太宰治は、『駆込み訴え』で、裏切り者の…
宣教師たちの見た日本―“天国に一番近い島国” ところで、宣教師=司祭(パードレ)たちにとっての信仰とは、どのようなものだったのでしょうか。 宣教師たちが、キリスト教弾圧下の日本にやってきたのは、キリスト教布教の灯を消さないためでもあったのですが…
「弱き者」、汝の名は……… ところで、「この世の弱き者」の代表として、物語の重要な位置を占める「キチジロー」は、ロドリゴ司祭を裏切り、役人に売っておきながら、彼の牢に近づき、しつこく何度も告悔(コンヒサン)をしに来るのです。 同じ信者仲間からは…
「踏んでも、踏まなくても」―なぜ、キリシタンは弾圧されたのか ところで、なぜ、キリシタンは弾圧されたのでしょうか。 弾圧されてもなお、(踏み絵を踏むとも、踏まずとも)、信者たちが守りたかった“信仰”とは、いったい何に対する信仰だったのでしょうか…
“この世の愚かな者、弱き者の宗教” 「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」 コリント人への手紙 第1 第1章26節 キリスト教は、紀元前後、ローマ圧政下で…
1640年、江戸時代初期の日本。布教活動をしていたイエズス会の高名な宣教師、フェレイラが、厳しいキリスト教弾圧下で捕らえられ、ついに棄教した、という知らせに、弟子のセバスチャン・ロドリゴ神父と、フランシス・ガルペ神父は耳を疑う。 日本へ渡り、自…
わたしは 太陽をみつめたことがない みつめることさえ あなたは 拒む わたしが ただの 花だから あなたを 追って 追いつづけて 愛想笑いも 上手くなった 不幸だなどと 思われたくもないから 涙が出るほど まぶしい あなたを 明から宵まで 目で追って 花弁は …
ぎらぎらした 真夏の太陽が じりじりした 熱い地面が ぼくを 苛立たせる 「ぎらぎら」も 「じりじり」も カーテン越しに いくら 優しくても 空調がきいて 部屋の中は いくら 涼しくても ぼくは とんがって あつくなっている 誰かの 足音も 話し声も 笑い声も…
二人目の犠牲者、そして………… 保の自殺によって、リミッターが外れたように、稔は、凶行に走ります。 刃先の長いサバイバルナイフが、その手にしっかりと握られ、陽の光を受けて光るのを、稔は、自室のベッドの上で、じっとみつめます。 そして、リュックを背…
「一家団欒」の幻想 この映画では、家族の食事風景がよく出てきますが、それは、手料理を皆で食べながら、和気藹々と話をする、“一家団欒”の図ではなく、それぞれ一人ずつ、別々の時間に、別々の場所で、コンビニの弁当をつつく、“孤食”です。 例外的には、…
家庭内殺人、一人目の犠牲者 葛城家の過去の回想で、この家族の、おそらくもっとも「幸せ」だったであろう時代の場面が描かれます。 父・清は、「家」を建て、一国一城の主となり、息子たちが生まれた記念に木を植えたと、家に招いた近所の友人たちに、誇ら…