他人の星

déraciné

2019-09-01から1ヶ月間の記事一覧

限界戦場

大地が 深い口を開き 赤い 血しぶきをあげれば 残るものは 何もないと ほんとうは 誰もが 知っている なのに 欲しがることを やめられないのは ぼくらが 滑車の中の ねずみだから いつの間にか 一人残らず 迷彩服を 着せられ 人いきれする 雑踏の 不快指数1…

『沈黙―サイレンス―』映画と、原作の両方から (10)

さて、本題からだいぶ逸れてしまいましたが、話を『沈黙』へ戻します。 苦難に満ちた旅路をたどり、布教活動をし、村の人たちに救いと赦しを与える役目を果たしていたロドリゴ神父は、もし神が存在しないのならば、自分の半生は滑稽であるし、殉教した信徒の…

『沈黙―サイレンス―』映画と、原作の両方から (9)

「死ぬか、狂うか、宗教か」 ところで、夏目漱石は、後期三部作の一つである『行人』の主人公、長野一郎に、こんな言葉を言わせています。 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」 『行人』 塵労 三十九 …

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (8)

“神”は存在するのか? さて、幼年から思春期までの成長期を、何となく、キリスト教信仰の空気のなかですごしてきた私は、大学へ進んだ頃までは、神の存在を、“何となく”信じていたように思います。 たとえば、友人との間で、自殺についての話題が出たとき、…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (7)

掌の内に守るもの、掌の内で守ってくれるもの ところで、宮崎賢太郎氏は、日本のカクレキリシタン信仰を、「キリスト教的雰囲気を醸し出す衣をまとった典型的日本の民俗宗教の一つ」であり、その深層には、「さまざまなフェティシズム(呪物崇拝)的霊魂観念…