他人の星

déraciné

恋と、アイデンティティの危機

 家の近くに、「よっこらしょ」、と鳴くカラスがいます。

 日によって、すぐそばだったり、少し遠くだったりするのですが、たしかに、「よっこらしょ」、あるいは、「よっこらこらしょ」、と鳴いているのです。

 はじめてその声をきいたときには、思わずパートナーと顔を見合わせて笑ってしまったのですが、そのカラスがなぜ、「よっこらしょ」と鳴くようになったのか考えるうちに、何だか、おかしいのか、かなしいのか、少し複雑な気持ちになってきました。

 テレビでも、ネットでも、人の言葉をまねる鳥についての話題をよく見かけますが、鳥類の知能の高さだけでなく、カラスの場合には、人間に保護されたことがある個体の可能性が高いそうです。

 鳥がなぜ人の声をまねるかについては諸説あるそうですが、その一つは、某テレビ番組によると(セキセイインコのケースを扱っていましたが)、「飼い主を愛した結果、その人に注目してもらいたくて」なのだと言っていました。

 あのカラスも、過去、自分を保護してくれた人間を「愛して」、その結果、「よっこらしょ」、という鳴き声を習得したのだとしたら…。

 人を愛した結果、あのカラスは、自分の鳴き声さえ変えてしまい、ずっとそのままこれから生きていくのだろうか、と思ったら、何だか、恋の切なさのような感情とごっちゃになってしまいました。頭がいいだけに、自分の鳴き声が、仲間の鳴き声と違っているのもわかるだろうし、だとしたら、(ここも人間とごっちゃですが)、少し、孤独を感じているかもしれませんね。

 

 愛が、恋の話に変わってしまいましたが…

 

 恋をした当の本人が、それ以前と以後とで、決して小さくはない(ときに、取り返しのつかないほどの)変化を遂げてしまうお話は、数えきれないほどたくさんあって、例えばアンデルセン童話の『人魚姫』もそうですね。

 海の底の宮殿に住む、美しい人魚の姉妹の中でも一番美しい人魚姫は、海の上にあがるお許しが出た十五の晩、船上の王子の姿を一目見て恋に落ち、嵐の中、危険もかえりみずに助けたものの、人魚の姿でそばにはいられず、王子は、たまたま駆けつけた娘(実は隣の国の王女)を、自分の命の恩人と勘違いしてしまいます。

 人魚姫は、王子への恋心を忘れられず、魔女に頼んで人魚の尾を人間の脚に変えてもらいますが、その代償として、美しい声を奪われ、おまけに、もし思いが叶わなければ、おまえは海の泡になってしまうよと告げられるのです。

 しかし王子は、自分の命の恩人と思い込んだ隣の国の王女と結婚してしまい、人魚姫は、これで王子の心臓を刺せば人魚に戻れると、姉たちが差しだした短刀を投げ捨て、日の出とともに海の泡となる…はずが、(人魚姫の、愛する相手の幸せを願い、殺さなかったことに報いてでしょうか)、空気の精になる、というお話でした。

 人魚姫は、恋によって、人魚の尾、という、かなり重要なアイデンティティとなり得る部分を捨てて人間となり、あやうく命(厳密に言えば「魂」でしょうか)さえなくしてしまうところだったのです。

 

 それ以外にも、たとえばギリシャローマ神話では、太陽の神アポロンに恋をして、乱れた髪を流れるままにまかせ、自分の涙と冷たい露だけを食べ物に、九日もの間、アポロンがめぐる軌道をみつめ続けているうち、とうとう向日葵になってしまった水の精クリュティエなどの話が有名ですね。

 彼女の恋もまた、彼女自身の姿を、一日中太陽を追いかけて茎を回転させる一本の向日葵に変えてしまったのですから、アイデンティティの危機どころの話ではないでしょう。

 

 こんなふうに見てみると、恋とは、自分を根本からゆるがし、変えてしまいかねない、ある種のアイデンティティの危機、として理解できるのだろうと思います。

 

 …書いているうちに、思ったよりも、何だか興味深い話のように思われてきましたので、また後日、続きを書きたいと思います。