他人の星

déraciné

裏切られた青年のためのおとぎ話 「不幸せな王子」第1話

 

 むかしむかし、大きな国の、立派なお城に、一人の王子がおりました。

 

 王子は、生まれてこの方、自ら望む、ということがありませんでした。なぜなら、王子が何かを望む前に、まわりの者たちが、王子に喜ばれそうなものをみつけては、すすんで献上したからです。

 

 たとえば、高い山の、ごく限られた場所にしか咲かない、珍しいすみれもそうでした。


 このすみれは、ずっと、自分の生まれた場所にいたかったのに、ただ「珍しい」、という理由だけで、王子のご機嫌をとるために、連れてこられたのでした。

 でも、もし、王子が、優しく、あたたかく接してやれば、すみれは王子を好きになり、故郷を思って、泣くこともなかったでしょう。

 

 王子は、最初のうち、すすんで、すみれの世話をしてやりました。なぜなら、その、何ともいえない濃い紫を、本当に美しい、と感じたからです。花弁は、いつもみずみずしく、艶やかで、神秘的な光さえ、放っているようでした。

 

 王子に、どうしても優しさをおしえられなかった王とお后は、大変喜びました。
 「よかった、よかった。あのすみれこそ、きっと、王子に優しさを、おしえてくれることであろう。」

 

 実際、王子は、たぐいまれな細やかさと、几帳面さでもって、毎日毎日、丁寧に、虫や、葉の汚れを取ってやりました。そっと、指先で触ると、恥じらうように、花弁がふるえました。そんなすみれに、王子は、心から、愛おしさを感じるようになったのです。

 

 王子は、よく、すみれに、こう話しかけました。
 「すみれや、すみれ。お前の住んでいた、高い山、とやらの話をしておくれ。」
 すみれは、慣れない場所に、まだ戸惑いを感じつつも、返事をしました。
 「喜んで。王子さま。」

 

 そうして、すみれは、自分のいた山の頂上には、鏡のように空を映す、秘密の湖があることや、時折、兎や鹿などが来て、そっと、自分に頬ずりしていくこと、それに、何ともいえない、いい匂いのする風、霧の朝の、きりきり冴えて、澄み渡る空気など、自分の知っているだけのことを、王子に話してきかせました。

 

 王子は、そんなすみれを、他にはない、何ものにもかえがたい、本当によい花だ、と思いました。

 

 ところが、時が立つにつれ、すみれは、最初の頃の、みずみずしい輝きを失い、王子の目を惹きつけることが、しだいに、なくなっていきました。
 そして、夜の帷が落ち、王子が床につく頃になると、すみれは、儚げなため息を、ふっと、一息、吐くのです。

 

 そんな晩が続くうち、王子は、すみれの小さなため息が、がまんならなくなってきました。それで王子は、すみれに向かって、幾分、怒ったような口調で、言いました。


 「一体、何が不満だというのだ。僕はこうして、おまえを、僕の部屋に置いてやっている。しかも、いちばん日当たりの良い窓辺を選んで、飾ってやっているというのに。」
 「そうではありません、王子さま。何も、不満など、ありはしません。」
 「ではなぜ、僕が眠る頃になって、これみよがしに、ため息など、吐くのか。」
 「苦しいのです。ここは、わたくしが生まれ育った場所とは、空気がまるで違うのです。ただ息を吸い、吐くのさえ、骨が折れて、とても苦しいのです。」
 「そんなことは、僕の知ったことではない。お父さまから、聞いたことがある。強きものは、この世界の、どこでもすみかとし、どこでも安らいで、息ができると。つまるところ、おまえは、弱すぎるのだ。」


 そう言われると、すみれは、悲しげに、うつむきました。

 

 「おそれながら、王子さま。わたくしたち、生きた花はどれでも、得意とする土や空気、水があります。その反対も、また。ですから、王子さまのおっしゃるような強さをもつのは、はじめから、命のないもの、すなわち、造花だけでございましょう。」


 すると、王子は、これでしまいだ、という顔をして、すみれを見おろしました。
 「よく、わかった。」

 

 翌朝、王子は、窓辺を指さして、家来に一言、言いました。
 「あのすみれを、焼き捨ててくれ。」
 しおれたすみれを、何となく、かわいそうに思った家来は、こう提案しました。
 「しばらくの間、外の空気を吸わせてやれば、また元気になるかもしれません。庭の隅に、植え替えさせましょうか。」
 しかし、王子は言いました。
 「いいや。この花は、こんなにも弱いのだから、放っておいても、いずれは死んでしまうことだろう。ならば、いまここで、火にくべてやる方が、慈悲というものだ。」

 

 王子の命令は、絶対でしたから、家来は、言われたとおりにするしか、ありませんでした。

 

 すみれが、熱い炎に焼かれながら、最後に何を思ったのか、それは、誰の知るところでもありませんでした。

 

                             《第2話へ つづく》