娘は、町にいる間、本当にたくさんのことを、見たり、聞いたりしました。
たとえば、赤子が産まれるのを見る機会には、三度ほど、遭遇しました。この世に生を受け、祝福された赤ん坊は、金の竪琴をふるわせるように、笑いました。そのとき、娘は、この世はなんと美しいもので満ちあふれていることだろう、と思ったものです。
ですが、そんな夢のような幸せばかりが、続いたわけではありませんでした。
むしろ、実入りの悪い麦のように、幸せは、ほんの数粒、含まれていればよい方で、あとは、曖昧ではっきりしないものか、あるいは、ひどい不運や不幸に見舞われるか、そのどちらかなのでした。
ことに、不幸は、気まぐれにやってきては、人々の人生に、深い裂け目や、取り返しのつかない傷あとを残していきました。
ある家では、死んで産まれた赤子をかき抱き、地も裂けよとばかりに、嘆きの声をあげる母親を見ました。またある家では、婚礼をひかえた若い男が、馬車に轢かれて命を落とし、遺された女は、あとを追って死にました。
それだけではありません。ときには、火事が、容赦ない雨や嵐が、あるいは、過酷な干ばつが、人々の生業や生活をひき裂いていきました。
この町の人々が、女も男も、老いも若きも、明るさや朗らかさを見せながら、そのどこかに、涙のあとのような影があるのを、娘は、幼いころから、ずっと見てきたのです。
しかし、娘は、自分が「よそもの」であることをも、よく知っていました。そして、どんな人もみな、自分のことで手一杯なのだから、さびしいからといって、誰かに何かを要求したり、甘えたりしてはいけないのだと、ずっと思ってきたのです。
けれども、そんな娘を、親身になっていたわってくれた人が、たった一人、いたのです。それは、娘があずけられた家の、おじいさんでした。
娘が暮らす家には、おじいさんと、おじいさんの息子夫婦、それに、娘が子守をする三人の子どもたちがいましたが、おじいさんは、いつも、孤独な娘を気遣ってくれたのです。それはあたかも、群れからはぐれ、迷子になった仔羊を見守るような、慈愛に満ちていました。よそよそしい世界に生み落とされ、勝手がわからず、どこかへ迷い込んでしまおうとする娘を、ずっと気にかけ、見続けていてくれたのです。
娘には、そんなおじいさんとの間に、忘れられない思い出がありました。
それは、ごくあたりまえの一日が終わろうとしていた、ある日のことでした。
娘は、夕暮れの草原で、四角くて大きい、石の上に座っていました。何とはなしに、もの悲しいとき、娘はよく、そうしていたのです。そこは、家のすぐ近くで、娘の、お気に入りの場所でした。長い長い時を経て、何か、大きな建物が崩れたあとでしょうか。石の柱が朽ちて、何本か、横倒しになっているのでした。娘は、よくそこへ腰掛けては、遠くにうっすら見える海を、眺めていたのです。
すると、そこへ、おじいさんがやってきました。
「やはり、ここにいたのだね。さあ、戻ろう。もうすぐ夕飯の時間だよ。」
しかし、娘は、もの憂い視線をちらと向けただけで、動こうとしませんでした。
おじいさんは、娘の気持ちを察したように、となりに座りました。
「いま、こうして年をとって、むかしを思うと、妙な気がするものだ。楽しいことばかりで、幸福だったようにも、つらいことばかりで、不幸だったようにも思うよ。喜びはいつも、虹のようにはかないのに、悲しみはいつも、永遠に続くかのように深い。」
おじいさんは、そう言うと、筋張った、自分の両の手をみつめました。
「結局のところ、悲しいことだ、生きるというのは。獣たちの目を見るにつけ、そう思う。彼らはみな、目を潤ませているだろう?」
「みんな、泣いているの?」
娘がたずねると、おじいさんは言いました。
「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない。深い水は、静かだ。彼らは、大きな流れに身をゆだねているから、心が静かなのだろう。心の静けさは、喜びではなく、かなしみに親(ちか)しい。わしは、そう思うのだよ。」
獣たちの目をのぞき込むとき、彼らもまた、娘の目をのぞき込みました。そのまなざしは、娘の心の内にある森や湖沼を見るように、しんと静かで、おだやかでした。それを見ると、あらゆるものを囲い込む、すべての境界が消えて、奥深い謎と、果てしない広がりとを感じて、心が安らぐのでした。
おじいさんは、話し続けました。
「獣たちは、時々、何かを心得たような目をする。ああいうときは、本当に、何かがわかったときなのだ。人間も、同じような目をすることがある。だが、そういうときは、本当は、何もわからないときなのだ。わかったふりを、しているだけなのだ。」
「どうして、ふりをするの?」
「そうだな………。」
そう言うと、おじいさんは、白い長いあごひげをなでました。
「わからないことが、こわいからだよ。わかれば、そいつを捕まえて、自分の獲物にした気になれる、というものだが……。わからないものは、そうはいかない。自分より、どのくらい大きいのか、小さいのか、強いのか、弱いのかもわからない。目にも見えないし、耳にも聞こえない。そうなれば、誰だって、こわくなる。手も足も出なくなる。自分の方が、喰われてしまう気にもなる。だから、わかったふりをする。自分が勝った、こいつは自分のものだ、と思いたいからね。人は、まぁ、臆病なんだな。」
おじいさんは、決して、娘を子ども扱いしませんでした。心と魂をもつ、一人の人間として、ごまかしもせず、隠しもせずに、心に思う、本当のことを打ち明け、話してくれたのです。
娘は、そんなおじいさんのことが、心から好きでした。楽しいときも、悲しいときも、すべて大切な思い出のそばには、いつも、おじいさんの姿がありました。
生まれた家から離された心細さも、よそものだという淋しさも、おじいさんが、もやいづなのように、娘の心をつなぎとめてくれたからこそ、やわらいだようなものでした。
そうして、いつしか、おじいさんのいるこの町で、静かに、時間の砂に埋もれていく一生を、望むようにすらなっていたのです。
ですから、突然、おじいさんのもとから引き離されたときには、身をひき裂かれるようでした。
娘は、生家へ戻されてからというもの、いっそう淋しく、孤独になりました。相手の王子が十八になるまで三年の間、行儀作法を厳しくしつけられる一方で、せっかく帰ったというのに、両親との間に、親子らしい情を感じる機会は、ほとんどありませんでした。
もともと、あまり愛想の良い方ではなかった娘は、大人になるにつれて、いつも物思いにふけっているような、静かな印象を、漂わせるようになっていきました。
そんな娘に、両親は、たびたび言いました。
「おまえはもうすぐ、王子さまと結婚するのだよ。こんな幸せは、望んだって、あるものではない。だからもっと、明るい顔をしなさい。でなければ、おまえのようなものは、誰にも好いてもらえないよ。」
ですが、すでに、自分の望みや思いを知った娘は、表情一つ、言葉一つでも、自分を偽ることはできなかったのです。
《第5話へ つづく》