他人の星

déraciné

裏切られた青年のためのおとぎ話 「不幸せな王子」第6話

 

 翌日の晩、遅くなってから、王子は、こっそりと、家来を呼んで、言いました。

 

 「あの鼻つまみものの女を、殺してくれ。」

 

 家来は、その言葉に真っ青になって、言いました。

 

 「何をおっしゃいます、王子さま。すみれや鳥ならばともかく、相手は人間、殺せば罪に問われます。お気に召さないのであれば、離縁して、どこへなりとやってしまえばよいでしょう。」

 

 家来の言うとおりでした。ですが、王子の気質が、それを許しませんでした。一度は自分の所有であったものが、自らの手を離れて自由に生きることがあるならば、王子の脆い自尊心は、そのために、ひどく傷ついてしまうのです。


 王子は、家来の言葉をさえぎって、言いました。

 

 「いいや。あのように弱きものは、どこへ行こうと、生きられまい。いま殺してやる方が、慈悲というものだ。よしんば生きていたとしても、何のためにもなりはすまい。むしろ、あのようなものを生かしておけば、人を貶め、国を穢すことにもなろう。わたしは、国と人々を守るため、あえて、罪を犯そうというのだ。これを勇気と呼ばずして、いったい何を勇気と呼ぶ?それに、人を殺す方法は、いくらでもある。誰にも知られぬよう、処分してしまえばよいのだ。たとえば、事故ならば、問題はなかろう。」

 

 その家来は、以前、王子の命令で、すみれを焼き、小鳥を殺しました。そうして今度の命令は、こともあろうに、お妃殺しでした。

 いずれにしても、従うよりほかない家来は、王子の機嫌を損ねないよう、黙って、王子が良い殺害方法を思いつくのを、待つしかありませんでした。

 

 ほどなくして、王子は言いました。

 

 「………そうだ、小動物を捕まえるワナがあっただろう?あれで、十分だ。わたしは、あのものを、森へ連れていく。それぞれ馬に乗って。そして、ワナにはまれば、馬は暴れ、ふり落とされて、あのものは、死ぬであろう。」

 

 すみれや鳥のときとは比べものにならない、何十倍ものほうびを受けとり、罪の意識に盲になった家来は、翌朝、まだ誰も起きていない暗いうちに、森へ出かけていきました。そして、王子に言われたとおりの場所へ、ワナを仕掛けて、戻ってきました。


 しかし、その日も、また次の日も、次の次の日も、しとしとと、雨が降り続き、王子は、計画の実行を、延期せざるを得ませんでした。


 やがて、四日目の朝が明けました。降り続いた雨もあがり、あたたかく、おだやかな光と風が、濡れた大地を、少しずつ、乾かしていきました。

 

 「森へ、行こうではないか。」


 その日の午後、王子がめずらしくそう言ってきたとき、娘は、あまり気がすすみませんでした。

 

 王子は、優しげな微笑みさえ浮かべて、言いました。


 「城の中にばかりいるから、気がふさぐのであろう。いまごろは、野バラの真っ盛り。そなたは、まだ、いちばん美しい時期の森を見たことがないであろう?道は、まだ少し、湿っているかもしれないが、雨露のあとを残す花ほど、美しいものはない。わたしが、案内してやろう。」


 王子が自分を嫌うようになって以来、娘は、孤立無援でした。

 誰ひとり、優しく手をさしのべてくれる人のいない城の中で、娘は、生きながら石の棺に閉じ込められたように、ひどくさびしい思いをしていたのです。

 そこへ、たとえ気まぐれでも、王子が笑いかけてくれたとき、雲間から、ほんの一筋、光がさしたように感じたのです。


 それで、娘は、きっと、自分がいけなかったのだ、と思いました。

 自分こそ、何も知らないくせに、知ったふりをして、王子の気持ちを、傷つけてしまったに違いない。人と人は、花と大地、空と鳥のようではなくて、みなそれぞれに、ひとりきりで淋しく、孤独なのだから、ゆっくりゆっくり、距離をおいて、時間をかけて、あたため合うしかないのに、なぜそのことに気づこうとしなかったのだろう、と、心から後悔したのです。

 

                           《第7話(最終話)へ つづく》