他人の星

déraciné

「わたし」は何からできているのか?

 

 いまの自分をつくっているものが、何かと考えたときに、どうしても無視できないのが、「親」の存在、ではないでしょうか。

 私の場合、自分の親が、どういう位置にあったのかを知る材料は、成長過程から接してきた、他人の親の存在でした。

 

 私にとって、「他人の親」の記憶は、小学校時代の同級生に始まるのですが、容貌が違うのはともかくとして、家庭によって、日常の生活習慣の細かいところから、出てくる料理から、親子の間に流れる空気まで違うのを感じて、ああ、いま自分は、よその家にいるのだなと、子ども心に、何度もつくづく、思ったものでした。

 

 それぞれの親には、それぞれの思いがあって、子どもにどのように感じられようとも、ほとんどの親は、「よかれと思って」、子に対して、その行為をなすのだと思います。

 

 私の親もまた、間違いなく、そうでした。

 

 善いとか、悪いとかはぬきにして、私の父は、とても厳しい人でした。

 家庭というのは、家父長的な父親を上に頂いたタテ社会であって、上司の命令に部下が従うのは当たり前で、大なり小なりの我慢をして、言うことさえきいていれば、家庭内に、自分の「机」、つまり居場所が与えられるのです。

 ですから、「家族をやる」というのは、大部分、仕事のようなものであって、決してありのままの自分を、油断して、さらけ出す場所ではない、と、私は感じていました。

 

 

 けれども、心に、さざ波や、大きな波紋を、静かに、じわじわと広げるような、“他人の親”との出会いもありました。

 

 私にとって、それは、パートナーの親、とくに、義父の存在でした。

 

 静かでひかえめなもの言いと、恥ずかしげな微笑、押しつけがましくない、りんとした意志の強さがあり、真面目すぎず、いたずら好きな子どものように愉快なところもある人でした。

 

 私には、まるでカルチャーショックのような驚きで、自分がこれまで見知っていた世界からは、想像もつかない何かを見ているようで、ある意味、居心地の悪ささえ感じるほどでした。

 たとえば、食事を終えた後、義父母が、二人仲良く寄り添ってあと片付けをするのを見たときには、これは何か、奇跡でも起こっているに違いない、と(本当に大げさなどではなく)思ったのです。

 後ろから見ていた私は、思わずカメラを取り出して、シャッターを切ったのを覚えています。

 

 

 ふいに、自分の中にもあるものを見せられると、激しい憎悪や嫌悪感、距離のつかめない同情などに心をかき乱される一方で、手放しで、肯定的に受けとめることのできるものというのは、自分の中にないものであるときの方が、多いように思います。

 

 私自身は、義父母のような要素や役割の観察学習も伝承も、インプットされることなく育ってきたので、たとえば、そのようになろうとつとめたところで、とってつけたような二流品か三流品、偽造品にしかならないのは、目に見えているのです。

 

 より好ましいと感じるものをみつけたからといって、それが自分のものになるかというと、そうではなく、たとえそれより好ましくないと感じるものでも、長い間なじんできたために、そっちの方が自分だと感じるときの無力感には、何ともいいようのないものがあります。

 

 この自分が、何からできているのか、好き嫌いに関係なく、水と油のように、どうしても異質で、はじいてしまうものがある、どうにもならなさを、一つ、一つ、みつけては動揺したり、悲しんだりを繰り返すのが、ここ最近の、自分に関する点検作業、のような気がしています。