他人の星

déraciné

帰ってきたウルトラマン『怪獣使いと少年』(4)

「遠く 離れて 地球に一人」

  

 よくいわれることですが、人間は神ではなく、万能ではありません。

 けれども、口でそう簡単に言うほど、この身にしみ入るほどにはわかっていないな、と、私自身、自分でもよく思うことがあります。

 

 人間の想像力にも、限界があり、物語の中で、あるいは現実の中で、どんな経験を、どれだけ重ねても、いつまでたっても分からない・変われないことがあって当然なのです。

  そうした意味でも、この物語で描かれているのは、間違いなく、私たちに関係する未来についての、最悪のシナリオだったのかもしれません。

 

 そして同時に、地球という、私たちの故郷の行く末をも、提示します。

 

 良くんは、こんなふうに言っています。


 「地球は今に、人間が住めなくなるんだ。その前に、さよならをするのさ」

 

 もしかしたら、メイツ星人が地球の気候風土を調査しに来たのは、メイツ星もまた、高度な文明を築いた結果として、大気汚染などがすすみ、もはや生命を育むことのできない星となってしまったために、何らかの解決策を探ろうとしてのことだったのかもしれません。

  

 

  そして、メイツ星人の死によって、彼が封じ込めていたムルチが蘇り、新マンに倒されたあとも、良くんは、穴を掘ることをやめようとはしません。

 

 良くんは、言います。

 

 「おじさんは、死んだんじゃないんだ。メイツ星に帰ったんだ。ぼくがメイツ星についたら、迎えてくれよ、きっとだよ」

 

 郷は、そんな彼を見ていて、こう言います。


 「彼は、地球にさよならが言いたいんだ」

 

 彼自身もひどい迫害を受け、また、この世界でたった一人、親愛の情を感じていた“おじさん”を殺されて(良くんの中では、決して死んではいないのです)しまうような地に、いったい誰が、とどまりたいと思うでしょうか。

 あるいは、誰か、彼に、地球を捨てるな、希望をもてと、言える人がいるでしょうか。

 

 いまや、彼の希望は、きっと隠されているはずの宇宙船を探し出し、それに乗って、地球を去り、メイツ星で、再び“おじさん”に会うこと、それだけなのです。

 

 

 私たちの社会は、いま、どうなっているのでしょう。

 

 相変わらず、リョウくんやメイツ星人が、迫害される社会のままではないのでしょうか。

 

 

 ウルトラマンも、セブンも、新マンも、ときに、自分が守ろうとした地球人の、欲深さや残酷さに、驚きあきれつつ、それでも使命感をもって、怪獣退治をする姿を、何度か見せています。

 

 その背中には、やるせなさと、切なさと、悲しみが漂っていました。

 

 もし、あのころのように、また、彼らに悲しい思いをさせているとしたら、いったいどうしたらいいのでしょうか。


 何しろ、彼らは、自分の命を賭してまで、私たちのために闘ってくれていたのですから。

  それだけでなく、優しきヒーローとして、私たちの心に、いつでも寄り添っていてくれたのですから。

 

 

                                  《おわり》