王子はそれまで、他人の、あからさまな敵意や憎悪にふれたことはありませんでした。
城の中のものも、外のものも、誰もが王子によくしてくれるのですが、それは、王子という立場への親切であって、自分でなくてもよい気がすることも、少なくはありませんでした。
そういうたぐいの好意にばかり接していると、やがて、心の奥に、暗く淋しいさざ波が立ち、何かが少しずつ、すさんでくるものです。
それが、娘と一緒にいると、まるで違いました。
王子は初めて、みずからの気持ちの流れに、安心して身をゆだねている自分を見出すことができました。
そのとき、王子は、これまで気づこうとしなかった自らの孤独を知るとともに、信頼と安らぎとを知ることになったのです。
それは、娘の方も同じことでした。
お金という、生活の糧を得るために働く娘には、どこでも、人であるか否かを問われることはありませんでした。
決められた時間に、決められた分の仕事を、きっちりこなすことができるならば、それが石でも人でも、かまわなかったのです。
ことに、人をなごませることができるような愛嬌に恵まれなかった娘は、一緒に働く女たちにも相手にされず、誰にもあたたかい胸を開くことはありませんでした。
それが、王子の前では、まったく違ったのです。
その胸が、自ら、ひらかれることを望む声に、娘は、自分であって自分ではないものを感じ、畏怖しました。
その気持ちは、王子から、その高貴な身の上を明かされたときにも、何ら変わることはなかったのです。
一方、王とお后は、わが子の身勝手な行動を、黙って見守るしかありませんでした。
たとえ自分たちが、何を言ったところで、利発な王子は、あのおだやかなもの言いでもって、自分たちを言いくるめてしまうだろうことは、わかっていました。
子どもの中に萌えいずる望みや思いの前には無力で、頼りない一個の人間であることを思い知らされるのは、一国の主である以前に、親として、耐えがたい屈辱でさえありました。
ですが、王子には、どうやら懇意になった村娘がいるらしい、という話を聞き及ぶに至っては、王とお后は、すっかり冷静さを失ってしまいました。
野山での、ささやかな狩りならば、身の危険さえ防ぐことができるなら、やがて王となるものにふさわしい強さやたくましさを養うには、むしろ好ましいことでした。
けれども、男女の問題となると、話はまったく別です。
王子、というものは、しかるべき身分のお妃をむかえ、いずれは一国の王となる身分のものであって、それが、どこの馬の骨とも知れない、まして、貧しい村娘などと親しくなっては、王家だけでなく、国の行く末にも傷がつくというものです。
しかし、王子の心は、すでに、親の知らない、恋の謎深い霧の向こう、森の奥まで、迷い込んでしまっていました。
自分の立場も、将来の役割と義務も、そればかりか、あれほど楽しみだった野山の狩りさえも、すっかり吹き飛び、寝ても覚めても、心の中は、娘のことでいっぱいでした。
王とお后は、この国の未来をかけて、王子の問題を、何とかしなければと、強く思うようになりました。
まちがった道へ足を踏み入れようとしている子どもを正すのは、親のつとめだと、よくわかっていたからです。
そこである日、王子が出かけようとしていたところを、家来たちにとらえさせ、高い塔の上にある部屋へ、閉じ込めてしまったのです。
恋というものは、ただいっときの熱病、ときがたてば、病は癒えるもの。
王とお后は、そう考えたのです。
《第5話へ つづく》