他人の星

déraciné

『エレファント・マン』(4)

「みんなちがって、わたしだけいい」

 

 つまり、それほど変わりも動きもしていない“エレファント・マン”ジョン・メリックをめぐって、まわりの人たちは、必死になって、踊っているのです。

 

 蔑んで、貶めるか。
 異常に敬愛し、礼賛するか。

 

 どうして、ふつうにできないのでしょう。

 

 彼の見た目が、著しく、ふつうではないからです。

 


 人間は、視覚の動物であり、五感の中でも、8割方を視覚からの情報に頼って世界をとらえ、判断しています。

 

 また、人間は、何かを判断するときに、必ず、比較対象を必要とします。比較するものが何もなければ、もの一つ、色一つ、判断できません。


 たとえば、雪原でのホワイトアウトがその例です。あたり一面白一色になってしまうと、比較対象となる他の色や対象物がないため、天地も方向も何もわからなくなってしまいます。

 

 とくに、私たち人間の顔の構造は、基本的に同じで、よく似ているため、人間は人間の顔に関して、微細な特徴をとらえて差異を判断できる能力をもっています。

 

 そして、対象物が、鈴や小鳥、つまり、人間以外のものであれば、「みんなちがって、みんないい」にもなれるのですが、人間と人間と人間の場合には、残念ながら、そうならないことが多いのです。


 「みんなちがって、わたしだけいい」にしないと、人間というものは、安心して生きられません。

 

 “自信”、などという、いかにも頼りなげな、細いロープの上を安全に渡っていくには、他者否定、という命綱がなければ、とてもではありませんが、すぐに、自己否定という奈落の底へ、真っ逆さまに落ちてしまうことでしょう。

 

                              《(5)へ つづく》