他人の星

déraciné

『バットマン ビギンズ』(2)

「どうして人は落ちるのか?」

 

 以下、ネタバレになりますので、ご注意ください……。

 

 バットマンこと、ブルース・ウェインの恐怖の対象は、コウモリであり、彼のコウモリ恐怖症は、少年の日、深い穴に落ち、そこでコウモリの群れに襲われたことに由来します。

 

 大富豪という社会的地位と、ゴッサム・シティの人々のために尽くすという「ノブレス・オブリージュ」、その在り方としても、理想を絵に描いたような彼の父は、ブルースを穴から救い出したときに、こう言います。

 

 「どうして人は落ちると思う?這い上がるためだ」。

 

 この言葉が、ゆくゆくは、バットマンとなって街を守る彼の背中への、最初の一押し、だったのでしょう。

 

 物語は、ヒーローものの王道、といってもよい展開を見せます。

 

 彼の両親は、生活困窮者によって殺され、一人残された彼は、執事のアルフレドに保護され、経済的にも何不自由なく成長します。


 けれども、彼の中では、自分の“臆病さ”のせいで、目の前で両親を殺されたことの整理がつかず、公判に現れた犯人を殺そうと、銃を隠し持っていたのですが、犯人チルは、ゴッサム・シティのマフィアのボス、ファルコーニの手下によって、暗殺されてしまうのです。

 

 幼なじみであり、ブルースが思いを寄せる女性、レイチェルは、両親を殺された復讐を遂げようとしたブルースを、激しくなじり、平手打ちを喰らわせます。

 

 


 どうして、人は落ちるのでしょう?

 人は誰しも、様々な意味で、一生の間に何度か、ブルース少年のように、予期せず、深い穴に落ちることがあると思います。

 

 “落ち”もすれば、“堕ち”もします。

 

 鳥のような、翼がないからです。

 

 

 カラスが、高いビルの上から飛ぶのを見たことがあります。

 

 建物の屋上、角から、足を放したとき、羽ばたくこともしないので、一瞬、“落ちる”、と思いました。(そんなはずはありませんが)。

 

 足を放した瞬間、風か上昇気流か、何かをつかんで、その流れに、ふわりと乗る感じです。

 そのようすは、いかにも自然で、気持ちよさそうでした。

 


 残念ながら、人は、鳥のように屈託なく、かろやかに、過去さえ忘れて飛ぶことはできません。


 苦しい過去や、こじれた思い、涙でぐしゃぐしゃに濡れた泥の中を、這いつくばって、生きていかざるを得ないのです。

 


 実際、ブルースは、少しでも“悪”を理解し、味方につけることで、苦しみを拭い去ろうとして、犯罪に手を染めます。

 バットマン誕生前夜の迷走、といえると思います。

 

 翼をもたない人間は、内にどれほどの正義感を秘めていたとしても、周囲がそのようでなければ、堕ちます。

 のちに、バットマンの協力者になるゴードン刑事もまた、すっかりファルコーニの手先になっている同僚の警察官をみとがめもしません。

 個人的な正義感や善良さがいかに無力であるかを、身をもって知っているのでしょう。

 彼もまた、警察官という仕事に就いている者としては、“堕ちて”いるわけです。

 

 けれども、バットマンは例外です。

 彼は、物語の世界から待ち望まれたヒーローなのですから、本体は人間であっても、“飛べる”のです。

 

  「どうして人は落ちると思う?這い上がるためだ」。

 

 この言葉は、まさに、父から息子へ、翼をもつことが約束された唯一無二の存在、バットマンに対して向けられた言葉なのだと思います。

 

 

                             《(3)へ つづく》