愛する夫の死を知った娘の嘆きは、あまりに激しいものでした。
そして、夫の死んだ泉に、自分も身を投げて、死のうとしました。
すると、そのときです。
とつぜん、あの魔女が現れ、泉に落ちた娘をすくいあげました。
魔女は、気を失った娘が目を覚ますと、こう言いました。
「嘆くのは、もうやめなさい。おおかた、おまえは、自分のこれまでの行いのせいで、どんなにか、王子を苦しめてしまったことだろうと、悔やんでいるのであろう?そうして、自分が王子を殺したのも同然だと、思っているのであろう?うぬぼれるのも、いい加減にするがいい。」
強く、気を引き立てるような魔女の言葉に、娘は、激しく泣き出しました。
魔女は、言葉を続けました。
「おまえはもとから、できもしないことをしようとした。そして、ありもしない結末をまねこうとした。王子は、最初から、あの日に死んでしまう運命にあった。それを、おまえは、助けたいと願った。自分の一生分の喜びと幸せと満足とひきかえに。しかし、おまえはそれをし損なった。そうだね?……ところが、王子が死んでからというもの、おまえはずっと嘆き続け、結局、自分の一生分の喜びと幸せと満足を、それとは知らずに、手放すことになった。だから、わたしは、王子をよみがえらせた。それからのことは、本来、王子の運命にはなかったことなのだよ。だが、わたしは、知りたかった。命、命と、これほど大切なものはない、といいながら、なぜ人間は、命を捨ててまで、わたしのところに来るのか。命より大切なものがあるとしたら、それはいったい何なのだ?誤解してはいけないよ、決して善意ではないのだから。わたしは、人から大切なものを奪い、それとひきかえに、願いを叶える魔女だ。だから、人からいちばん大切なものを奪うことが仕事なのだよ。それで、ずっと、おまえたちのようすを、見させてもらった。おかげで、ほんの少し、暗示を得た気がするよ。」
娘は、不用意に、魔女の、銀色に光る瞳を見てしまうところでしたが、魔女の方で、目をそらしました。
「気をつけなさいと、言ったであろう?死にたくなってしまうから。」
「………でも、おばあさん。あの人を失って、わたしは、これからどうすればいいのか、わからないのです。」
「いまはまだ、そのときではない。王子は、ほんの少し、遅れて自分のもとへ来るであろう、おまえを待っているよ。真に信じ合うものどうしは、決して生死で隔てられはしない。おまえは、それをよく知っているであろう?………かたちあるものは、必ず滅びる。あの国も、そのとなりの国もそのまたとなりの国も、いずれすべて滅びる。わたしには、それが見える。だが、死や滅びは、場合によっては救いとなる。その意味は、いまのおまえならわかるであろう?」
娘は、魔女の言葉を聞き、涙を流しました。
泣くことのできるあいだは、泣いていた方が、ずっと気持ちがらくになるものです。
魔女は、言いました。
「いいかい?おまえの嘆きは、ひとりの一生分を超えてあまりある。おまえは、ふたり分ほどの一生分の苦しみを味わい、悲しみを泣いた。……だから、わたしはもう、おまえからは、何もとらないよ。」
魔女は、ほんの一瞬、冷たい手で娘の背にふれると、すっと、姿を消しました。
魔女の残した冷たい手のあとは、次第に、冷えた娘のからだをあたためていきました。
娘はやがて、自分のそばで、心配そうにみつめている息子の姿に気がつくと、わが子をぎゅっと胸に抱きしめました。
すると、胸の奥の、重苦しい痛みが、少しずつ、ほぐれていくのがわかりました。
まだものごとがよくのみこめない幼(おさな)子(ご)は、無邪気な笑い声を立てました。
息子の瞳は、かぎりなく澄んだ、蒼いかなしみの色でした。
娘は、それからしばらくのあいだは、日中のいとなみを終えて、夜の闇のなかで横になると、ひとりでに涙がこぼれてくることもありました。
しかしそれは、むかしのような、永遠に続くかなしみではありませんでした。
それはまるで、夢のようにこっそりとおとずれ、娘を癒したかと思うと、翌朝には去っていったのです。
娘はやがて、幼き日の王子とともにいたころのような微笑みと、ハシバミ色の瞳の輝きをとりもどし、王子に生きうつしの息子をいつくしみながら、幸せに暮らしました。
そして、王子の死から二十年がたつころ、立派に成長したわが子に見守られながら、静かにこの世を去りました。
あとにのこされた碧眼の息子には、母親の分の、喜びと幸せと満足があたえられていました。
ですから、人生のすべての喜びとともに、世界の深淵を見る満足、生の寂寥と孤独を知る幸せが、彼を去ることは、決してなかったということです。
《おわり》