他人の星

déraciné

『バットマン ダークナイト』(1)

境界を越えてくるもの 

 

 私は、“ピエロ”を見ると、頭の中で、警戒を促すような音が鳴り響くのを感じます。

 

 どうしてでしょうか。

  

 人間が、たいした理由もなく、“現実の世界”だと取り決めた境界。

 その向こうから、今まで一度も見たことがないようでいて、ひどくなつかしい感じのするものが、こっそりと紛れ込んでくる……。

 

 そんな感じがするのです。

 

 ところで、私はいったい、いつの間に、この顔を、「ピエロ」だと学び知ったのでしょう……?


 子どもの頃、サーカスを観にいったという覚えはありません。


 では、某ハンバーガーショップのマスコット・キャラクターでしょうか。
 ちょっと、違うような気がします。


 では、遊園地で、子どもたちに風船か何かを配っていた人が、そんな格好をしていたのでしょうか。

 あるいは、そういうこともあったのかもしれません。

 

 覚えているのは、いくつかの、映画やドラマ、アニメーションなどの中で、彼らの姿を見たとき、ああ、これはピエロというものだ、と、すでに知っていた、ということだけなのです。

 ということは、音もなく、気配もなく、彼、もしくは、彼らピエロは、気がついたときには、私の内的世界の中に、潜り込んでいた、ということになるのでしょうか。

 

 

 精神分析創始者フロイトによれば、人間は、現実の社会に適応するため、無意識に、心の中の様々な事象を検閲にかけ、意識にのぼらせても安全だと判断されたものだけを表出し、そうでないものは、無意識下に沈めておくのだそうです。

 

 無意識下に沈めておかなければならないもの、というのは、表に表せば、社会的な制裁を受ける可能性が高いだけでなく(攻撃欲求や、性的なものなど)、同時に、その人の生のエネルギー源なので、危険な外界から守られなければならないものなのです。

 

 もしかしたら、「ピエロ」には、「ここまで」と、「ここから」の、何かの境界線のようなものを越えようとしていることを知らせる役目があるのかもしれません。

 

 

 『バットマン ダークナイト』の物語は、「ピエロ」たちの登場によってはじまります。

 銀行強盗の一群が、みな、ピエロの面をかぶっていて、その中に、こっそりと、ほんものの“ジョーカー”が潜んでいるのです。

 

 仲間同士で、仲良く銀行強盗をやり遂げて、さて、帰って、ボスと仲間内で山分け……なら、ある意味“平和”?!ですが、事態は、仲間殺し、という凄惨な場面へと展開していきます。


 相手の顔さえ見ずに、用済みの仲間を始末した彼こそ、“ジョーカー”、トランプをしていて、引き当てたときに、少し緊張感が走る、ちょうどあの感じで、彼が登場してくるのです。

 

                             《(2)へ つづく》