『バットマン ダークナイト』(3)
仮面が仮面でなくなるとき
人は、日常生活という舞台の上で、あたかも俳優が演技をするかのように、何かの役割を演じている、と言ったのは、社会学者ゴフマンです。
なぜ、演技をするかといえば、それは、人間が、他人からよく見られたいという欲求をもっているからであり、他人というものは、その人の外見的特徴や言動など、表に現れたものでその人を判断するからです。
他人から、何か、有益なものを得るために、その人の期待に添った自分を見せてアピールすることを、自己呈示(ゴフマンは、印象操作としています)と言います。
周囲の状況や、相手によって、人間は、自分の中の様々な要素を使い分け、必ずしも良い側面ばかりでなく、状況によっては、わざと悪い側面を見せることもあります。
人間は、周囲の人間との間で、自分がどんな役割を演じるべきか(どんな仮面をかぶるべきか)、意識的かつ無意識的にふるまいを決めていきます。
つまり、自分がある行動を取ったとき、周囲の他人が「喜んだのか」、「怒ったのか」、「悲しんだのか」、「こわがったのか」、刺激と反応によるフィードバックの積み重ねによって、次からは、相手の反応をある程度予測し、自分にとって、もっとも良い結果がもたらされるように行動するようになるのです。
たとえば、怖がらせることが、相手に脅威を感じさせ、自分の言うことを聞かせるのに有利だ、という成功体験を繰り返し経験すれば、そのようなコミュニケーションスタイルと人間関係のパターンがつくりあげられていくことになります。
けれども、こわいのは、仮面を取ればもとの自分に戻れるはずが、仮面が顔にはりついて取れなくなり、文字通り、仮面に自分本来の姿や命までも吸い取られることもあり得るということだと思います。
出自から考えれば、ジョーカーもまた、その例外ではないでしょう。
そして、ここにもう一人、仮面をかぶっていない“正義のヒーロー”が現れます。
新人地方検事の、ハービー・デントです。
彼は、何かを実行に移すとき、判断に困ると、何でもコイントスで決めようとします。このコインは、最初は、両方とも表であり、裏面はなかったのですが、レイチェルと別々の場所に監禁され、デントのみがバットマンによって救出され、大火傷を負ったときに、コインの裏面もともに焼けてしまい、裏面ができた、ということのようでしたが、私は、気がつきませんでした。
つまり、彼もまた、ジョーカーと同じように、彼自身の裏の顔によって、バットマンのような仮面をつけていない「正義の人」、「ホワイト・ナイト」であった表の顔を、奪われてしまうのです。
《(4)へ つづく》