小学6年生になる、姪っ子がいます。
発達段階でいえば、そろそろ思春期、というところでしょうか。
いろいろ難しい時期、といわれますね。
その姪っ子は、義兄夫婦の長女で、私は遠く離れたところに住んでいるのですが、義母(義父は2年前に他界しました)の近くに住んでいます。
先日、義母と義兄、それに、孫たち3人で、一緒に街へ買い物に行こう、ということになったとき、姪っ子は、言ったそうです。
観たいテレビがあるし、読みたい本もあるから、行かない、と。
最愛の夫亡き今、3人の可愛い孫だけが生きがいの義母は、それがとても残念で、淋しかったらしく、その夜、電話をかけてきて、私のパートナーに、しばし愚痴ったようでした。
そのとき私は、ああ、(姪っ子は、家族に対して)、ちゃんと言えるんだな、と思ったのです。
亡くなった義父も、その姪っ子のことを、“他人のことばかり考えてしまうところがある”と、気にかけていたようですが、どうも、その心配はなさそうです。
私が子どもだった頃なんて、はるか何十年も前のことになりますが、私はその“ちゃんと”ができませんでした。
外社会へ出て、自分が~したい、といえないことはよくあることですが、私は、多少の甘えがゆるされるはずの、家族に対しても、~がしたい、となかなか言えなかったのです。
たとえば、家族で出かけよう、というときに、一人だけ別行動を取るとなれば、おそらく許されないか、それでも我を通そうとすれば、とてもお出かけどころではなく、家庭内の雰囲気が険悪になってしまう、ということもあったでしょう。
父が、それだけ厳しい人だったのです。言い換えれば、家族への愛情が濃すぎて、それが束縛・管理・支配になってしまう人だったのです。
高すぎる壁を前にして、私は、自己を主張することを、あきらめていました。自分が意見を言うことで、家の中の雰囲気が悪くなり、居心地が悪くなってしまうのがいやでした。
それに、口答えをするには、かなりのエネルギーが必要で、私はただでさえ、口がよくまわらず、言葉を話すことがおっくうに感じられる方だったので、とても太刀打ちできないと感じていたのだと思います。
私はこのまま、親になるということを知らずに生きていくのでしょうから、親の気持ちや、まして、「おばあちゃん」の気持ちなど、わかりもしません。
子どもも、得意な方ではありません。
けれども、私がそんなにちやほやしなくても、苦手そうに離れていても、しばらく時間が経てば、子どもなりに気を遣ってか、少しずつ近づいてくる姪っ子や甥っ子を、かわいいと思いました。
なかでも、その姪っ子は、私と好みは違っても“本好き”だということもあって、少し、関心をもっていたのです。
黒目がちな目を、本に注いでいる横顔を見ながら、この子は、ちゃんと、家族に、甘えることができているのだろうか、と、思っていました。
どこかで、自分を重ねて見ていたのかもしれません。
ですから、義母の話をきいて、ほっとしたのです。
ああ、大丈夫。私なんかより、ずっとずっと強いね、大丈夫、と。
強いからいい、弱いからわるい、ということでは、決してありませんが。
よかったね、自己主張できるんだね、と、他人事で、ただ漠然と、何となく、そう思ったのです。