他人の星

déraciné

『LOVELESS ラブレス』(1)

 

 何か、面白い映画が観たい。すごく、観たい。

 

 …そう思って、レンタル屋に出かけていき、いざDVDを選ぼうとすると、いつもひどく迷ってしまい、パートナーからあきれられる、という話は、以前にも書いたように思います。(いや、確実に書きましたね)。

 

 たしかに、私の迷い方はひどいと、自分でも思います。

 

 何せ、借りたい候補のDVDをいくつか持って、棚の間をうろうろし、最低でも、1時間以上、ぐずぐずと迷い続け、くたくたに疲れて、こう思い出すのです。

 

 「疲れた。もう帰りたい。…でも、このままだと、レンタル屋から外へすら、出られない気がする。もう、永遠に、うちへ帰れない気がする」………。

 

 しまいには、レンタル屋の棚と棚の間に、ぺったり座り込んでしまいそうな気がしてくるのです。(←確実に、迷惑な客ですね)。

 

 こういうのを、パートナーの出身地の方言で、「あずのきれん」と言うらしいのです。思い切りが悪いとか、そういう意味だそうです。

 

 …そんなわけで、こりもせずにまたそんな思いをして、今回、やっとのことで借りてきたのが、『ラブレス』です。

 

 DVDパッケージの裏に書かれたあらすじやら、この監督さんは他にどんな作品を撮っているのかとか、よくよく読んで、私が心配になったのは、こんなことです。

 

 「うーん………。関係が破綻している夫婦が、それぞれ、不倫相手との情事に夢中になっている間に、親としてちゃんと愛してあげなかった子どもが行方不明になってしまうっていうのは、よくある展開だよねぇ………。」

 

 けれども、幸運なことに、この映画は、そんな私のむだな心配を、はるか遠くまで投げ飛ばしてくれるほど、私にとって、とても面白い映画でした。

 

 

 厳格なキリスト教徒が経営する一流企業に勤める夫ボリスには、すでに彼の子を妊娠している愛人がおり、美容師の妻ジェーニャには、成人し親元を離れた娘をもつ愛人がいる。

 目下熱を上げている相手との幸せな未来しか思い描いていないボリスとジェーニャにとって、息子のアレクセイは邪魔な存在でしかなく、互いに、息子を引き取れと押しつけ合い、激しく言い争う。

 アレクセイは、部屋のドア越しにそれを聞いてしまい、涙を流す。

 そうして翌朝、学校へ出かけたきり、いなくなってしまう………。

 

 ここまでは、よくある展開なのですが、ここからが、この映画の見どころだと思いました。

 

 私がこの映画を観て、まず感じたのは、何かを探す、という行為や行動は、実は、とても危険なことなのだな、ということです。

 

 息子がいなくなったことに、2日も経ってから気づいたジェーニャは、捜索願を出すのですが、警察は、十代の子どもの家出などよくあることだと取り合ってくれません。

 仕方なく、警察から紹介されたボランティア団体に、アレクセイの捜索を依頼するのですが、彼らは子どもの捜索にかけては熟練のプロなのです。

 

 リーダーの男性を中心に、男女数十人で構成された彼らは、草木の生い茂る森を、等間隔に距離をあけ、横一列に並んで歩き、互いの姿を見失わないよう注意しながら、一歩一歩、足もとを確かめるようにして踏みしめ、ゆっくり、ゆっくりと、前へ進んでいきます。

 そして、何か違う行動に移る前には、必ずリーダーに連絡し、一人の女性が、「名前を呼びます」、と伝えた後、ゆっくりとした、力強い声で、一音、一音、アレクセイの名前を叫ぶのです。

 それは、犬の遠吠えのように響き、かなり遠くまで歩を進めたボランティアたちのところまで聞こえてきます。

 

 彼らの、こうした行動の仕方は、それが森でも、ジェーニャの母親の家でも、アレクセイの同級生が秘密基地だと教えた廃墟アパートでも、基本的に同じです。

 とにかく、見落としがないよう秩序立った隊列を組み、必ず集団で行動し、決して無理はしないこと、次の段階に移るときや、ちょっとした変化でも必ずリーダーに連絡すること、などの決まりごとを、彼らは、きっちりと守って捜索をするのです。

 

 

                              《(2)へ つづく》