他人の星

déraciné

『 LOVELESS ラブレス』(3)

 

 そして、この映画では、「しあわせさがし」に直接結びついている、どうしても避けて通ることのできない問題があります。

 

 それは、性と愛です。

 

 太宰治は、恋愛とは、「性慾衝動に基づく男女間の激情」であり、「一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊なる性的煩悶」であると言っていました。

 

 通常、動物の性行動は、あくまでも生殖目的、つまり、メスが妊娠可能時期に限られますが、ヒトの場合は、生殖と性行動が必ずしも(ほとんど)結びついていない、という点で特殊です。

 なぜヒトのみがそうなったのか、という理由については、諸説あるようですが、他の動物では、発情期のオスが、メスと生殖行動を取ろうとするとき、そのメスが、別なオスとの間に産まれた子の子育て期にあると、メスが発情しないため、オスがそのこどもを殺すことがあります。

 

 ヒトの場合、できるだけ子どもを残すことで、種の繁栄と生殖の効率化をはかる方向へと進化し、メスが別のオスと、子育て期でも生殖行動をとることができるようにするため(子どもを殺されないようにするため)、ヒトのメスは、“年柄年中発情期”になったのです。

 

 そして、人間が、もし、性行為に興味をもたなければ、当然、種は存続せず、滅びてしまいます。

 そのため、強い快感がプラスされたわけです。

 たとえば、脳の中の視床下部というところで合成されるホルモン、「オキシトシン」などがよく知られていますね。

 この「オキシトシン」は、相手との強い一体感、一緒にいるときの多幸感、と同時に、その相手と離れているときの寂しさと苦痛をもたらす快感物質です。

 

 けれども、社会が発達し、「子育ては自己責任、お金がかかるもの」になってくると、ヒトはおのずと出産制限をするようになり、今日では、ますます、生殖と性行為は切り離されている、といってよいでしょう。

      (主要参考文献:『ブレインブックーみえる脳 リタ・カーター著 養老孟司監訳 南江堂 2012年』)

 

 

 つまり、種の存続やら繁栄やらといったものとは、ほとんど無関係に、性の快感を得ることのみを目的として性行為をするようになった、というのが、人間の生殖行動の特徴となったわけです。

 

 そして、“心をときめかせる”特定の相手をみつけると、「相手と一体になりたい性慾衝動」が生じて、それが叶えられなければ悶々とし、叶えられると、幸福感も絶頂に達して、その相手と、無我夢中で、飽くことなく「行為」を繰り返します。

 

 この映画の、ボリスや、ジェーニャと、同じように。

 

 けれども、そうした、激情にかられ、相手を強く求めるような“愛”は、長くは続きません。

 

 相手のことを、心から好きになって、寝ても覚めても、相手のことで頭はいっぱい、相手のためなら、命でも何でも犠牲にしてかまわない、とさえ思う。

 相手と一体になれる、その快感が、ますます恋の炎を燃えあがらせ、「自分には、この人しかいない」、と思う。

 

 ボリスは、過去にはジェーニャに、ジェーニャは、過去にはボリスに、そう感じていたのです。

 

 けれども、それは、はかなくも壊れていまいました。

 

 二人の愛の記念、息子のアレクセイを残して。

 

 高いところまでのぼればのぼっただけ、落ちるときには、その分、深く落ちていくことになります。

 

 気持ちが離れてしまったときの失望や落胆、その不快感や不愉快さが、相手への憎しみに転化されるのでしょうか。

 

 ヒトと違って、「正常な」生殖行動を取る他の動物では、一部の例外を除いて、毎年の繁殖期に、違う相手を選びます。

 それは、種の存続を考えた場合には、むしろ、合理的です。

 同じ相手との間で、ずっと、遺伝子情報を交換し合うよりも、違う相手との間で交換し合った方が、それだけ組み合わせの多様な遺伝子情報をもつこどもを多く残せます。

 こどものもつ遺伝子の組み合わせが多様であればあるほど、同じ菌やウィルスによって、種が滅亡してしまう可能性を、回避できるのです。

 

 人間は、感情の動物、といわれますが、実は、その「感情」を司るのは、人間の脳を、知性分野(ものを考えたり、推論したり、判断したりする)と本能分野(生存と生殖、種の存続を目的として働く)に分けた場合、本能分野に属しています。 

 

 最高の「幸せ」だと思っている愛の、痺れるような快感が失われるたび、その強い刺激を、また別の相手に探し求めていく、という行動は、実は、種の保存の合理性からいえば、妥当な行動、ということになります。

 

 

  これこそが、人間として、男として女としての幸福だ、と、自らの人間的“知性”でもって、選びに選んだつもりが、実は、進化の過程ですり込まれた過去の遺物、種と生殖の名残りにすぎないとしたら……。

 

 前掲書『ブレインブックーみえる脳』では、こんなふうに述べています。

 「オキシトシンにはドーパミンのようにある種の依存性がある可能性があり、そのため愛し合う二人が離ればなれになった時には苦痛を感じるのかもしれない。つまり、一緒にいる時に大量に分泌される『オキシトシン』が恋しいのである」。

 

 

                           《(4)へ つづく》