他人の星

déraciné

ウィリアム・ゴールディング 『蠅の王』 (1)

“過去は未来に復讐する”

 

 地震は、もとの地形をあぶり出してしまうそうです。

 たとえば、もとは湖沼だったり、河川だったところを埋め立てた場所は、どんな強固でゆるがないように見えても、ひとたび地震が襲えばたちまち液状化し、建物の土台をずぶずぶ飲み込んでいきます。

 

 あるいは、油彩で、経年によって、下に描かれていた絵や、直す前の絵や線が浮かび上がってくることを、「ペンティメント」、というそうです。

 

 要するに、表面上、取り繕っていても、もとからそういうものだと見えても、何かあれば、意外と簡単に、もとの状態に戻ってしまい、素の姿があらわになってしまう、ということなのでしょう。

 

 

 人間の心に備わっている「防衛機制」にも、同じようなものがあります。

 

 「防衛機制」とは、あまりに衝撃的な現実を、まともに受け止めてしまったら、心が壊れてしまうので、それを回避し、心を守るために備わっている機能なのです。

 

 が、この防衛機制は、当の本人があずかり知らぬうち、無意識的に作動してしまうものなので、使いすぎれば、やがて、自分の本当の気持ちや欲求、衝動にアクセスすることができなくなるという、危険と隣り合わせの禁じ手でもあるのです。

 

 とはいえ、私たちを取り囲む現実は、実に手に余る、アウト・オブ・コントロールなものばかりなので、たとえ禁じ手といえども、身を守るためには、この“毒”を、少しずつ飲まないでは、生き続けることができません。

 毒は、少量なら薬にもなり、薬は、大量に摂取すれば毒にもなるのです。

 

 

 説明が長くなりましたが、この「防衛機制」には、いくつか種類があり、その中の一つに、「退行」、という働きがあります。

 

 「退行」とは、簡単にいえば、“子どもがえり”のことであり、ものごとをうまく解決できなかったり、目的を、自分の欲求を満足させる形で達成することができない事態が続くと、まったく建設的でない、子どもじみて幼稚な手段にしがみつき、そこから離れようとしなくなる働きです。

 

 万事快調、とまではいかなくとも、そこそこやっていけそうだ、と思っている間は、目の前の現実や問題に、どう対処すればよいのか、合理的に考えようとすることもできるのですが、そうした余裕が失われ、自尊心が傷つき、弱っていると、「子ども」の頃にそれで問題を解決した(気になっている)行動に出るのです。

 

 たとえば、やけ食い、やけ飲み、わあわあ泣きわめく、八つ当たりする、など、その場限りでの自滅なら、さしたる深刻な影響も出ませんが、過去の問題解決法に固執し続け、逸脱し、「問題」さえ見えなくなり、破滅的な事態を引き起こしてしまうこともあるのですから、決してあなどれません。

 

 こうした「退行」現象は、個人の内部で起こるのみならず、当然、その個人の集合体である集団や、社会でも起こります。

 

 そのやり方では、絶対にその問題を解決することはできないのに、魔術的・呪術的思考にとらわれて、過去には、ヨーロッパで魔女狩りが起きたり、ユダヤ人の大虐殺が起きたり、あるいは、もっと規模の小さい集団では、わけもわからず、どう対処してよいかわからない不安や恐怖、怯えから、何の関係もない人がスケープゴートにされ、迫害されることなど、珍しいことでも何でもないでしょう。

 

 ふだん、何もなければ、人間や集団、社会の本質や、その脆弱な部分を隠し、不安があっても抑圧して、平然としていられるというものです。(日常などというものは、それこそ、もともと刹那的で、危うい土台しかもっていないのですが)。

 

 しかし、そこへ、災難がふりかかってきたり、不測の事態に陥ると、恐怖や不安からパニックを起こし、もともとの脆弱な基盤が露呈してしまうのです。

 

 

 

 

楽園の子どもたち

 

 ダイヤモンドのようにきらめく砂浜と、太陽。

 濃青色の海と、珊瑚礁

 孔雀色の、岩石と海草。

 何か、魅力的な秘密を隠しているような、緑濃い、奥深い森。

 

 遠い未来の大戦中、イギリスから疎開した少年たちの飛行機が撃墜され、ある島に不時着した、というところから、この物語は始まります。

 

 大人たちは、みな死んでしまったようで、比較的年齢の大きな子から、小さな子まで、数十人ほどの子どもたちだけが、それまで知っていた世界とは全く異なる世界—周囲から隔絶された孤島―に、迷い込んでしまったのです。

 

 その国の文化や、文明人としてのふるまいを子どもたちにおしえ、導く大人が一人もいない島で、美味な果物も、つかまえさえすれば食べることのできる野豚もいて、子どもたちは、まさに、何ものにも縛られることなく、「自由に」、生きることもできたでしょう。

 

 しかし、人間や、人間の集団というものは、決まりや秩序を欲するもののようです。

 

 決まりや秩序があってはじめて、無駄な苦労を減らし、仕事やものごとの効率化をはかることができるから、でしょうか。

 

 

 物語で最初に登場した「ラーフ」という金髪の少年は、“投票”という文明国の民主的制度でリーダーに選ばれ、仔豚のような容姿から「ピギー」というあだ名で呼ばれる眼鏡をかけた少年が、彼の補佐役のようにして、大抵、一緒に行動しています。

 

 そしてもう一人、自分こそリーダーにふさわしいと思っていたのに、ラーフに負け、自分の狩猟隊(もとは合唱隊)を指揮して野豚狩りを引き受けることになった「ジャック」。

 

 代表的には、この三人を中心として、物語が進んでいきます。

 

 加えて、もう一つ、物語の中心にあって、大切な役割を果たしているのが、ラーフとピギーがたまたまみつけた、濃いクリーム色で、ところどころに淡紅色がまざった、大きくて美しい「ほら貝」です。

 

 ラーフが、このほら貝を吹き鳴らしたことで、その音を聞きつけ、生き残っていた子どもたちがみな、ラーフとピギーのところへ集まってきたのです。

 それからというもの、このほら貝こそが、ラーフにリーダーらしい品格を与え、そのほら貝を持たされたものには、集団の中での発言権が与えられて、これからはじまる、子どもだけの集団生活の、「秩序」の象徴となっていくのです。