他人の星

déraciné

ウィリアム・ゴールディング 『蠅の王』 (3)

「仮面」は、「顔」を奪う

 

 ここからは、ネタバレを含みますので、ご注意ください。

 

 

 少年たちから、「投票」という民主的な方法で、みんなのリーダーに選ばれたラーフ。

 そして、誰よりも自分こそリーダーにふさわしいと思っていたのに、ラーフに負け、狩猟隊を組織し、野豚狩りに夢中になるジャック。

 

 二人の間の亀裂は、徐々に深まっていきますが、ラーフとジャックの、お互いに対する感情には、かなりの温度差があります。

 

 リーダーの座に収まったことも手伝って、ラーフは、それらしい落ち着きを保ち、ことあるごとにジャックと意見が対立しても、精神的な余裕を失わないのに対し、「負けた」側のジャックの苛立ちと憎しみは、より深刻です。

 

 自分の方が、相手より損をしている(させられている)、相手より、自分の能力の方が上なのに、劣位におかれている、という不満からくる憤怒は、当然、勝者とは比べものにならないほど強いのです。

 

 そして、二人の意見もまた、互いの立場を象徴するかのように、相容れません。

 

 ラーフは、まず何といっても、この得体の知れない状況から、自分たちが無事救助されることを第一に考え、当番制で烽火を絶やさないようにすること、そして、それまで自分たちがなるべく安全に生きていられるよう、家(ホーム)がわりの小屋をつくることを決め、リーダーシップを発揮します。

 

 それに対して、ジャックの頭を占めているのは、島に生息する野豚をいかに殺すか、ということであり、やがて彼は、野豚に気取られることがないよう、自分の顔に粘土や木炭で、自分の顔に隈どりをするようになります。

 

 

 「彼は、粘土を塗りたくり、半分他人のものになったような顔を、まだ意味が分からずにぽかんとしているロジャーの顔の前につきだした。

 『これ、狩りに必要なんだ。戦争のときと同じさ。ほら―例の迷彩ってやつさ。何かほかのもののように見せるってやつだよ―』

      ………中略……… 

彼は、踊りだしたが、彼の笑いは、しだいに血に飢えた唸り声に変っていった。

仮面はそれだけで、一つの生き物のようであった。その背後に、ジャックは恥辱と自意識から解放されて、潜むことができたのだ。」

 

 

 ユング心理学では、仮面は「ペルソナ」と言い、私たちが、日常生活や社会生活の中で、適応的でふさわしい行動がとれるよう、様々な役割を演じ分ける(たとえば、家庭人としての役割、仕事上での役割など)ために必要なものとされます。

 

 通常、役割を終えれば、この「仮面」を脱ぎ去り、おそらく「仮面」をかぶっているときよりも脆くて弱い自分に戻り、自分そのものの顔と向き合ったあとで、再び、危険な外界から身を守るため、必要に応じて「仮面」をつけるのです。

 

 さらに、仮面は、匿名性を高めます。

 

 「顔」をあらわにすることは、「その行為をしたのは」「この顔をもつ」「この人間の」「責任である」ことを特定し、本人だけでなく、周囲の人にも強く認識させるため、それが良くも悪くも「ブレーキ」の働きをすることになります。

 

 たとえば、お祭りのときなどには、顔に特殊な化粧を施したりすることによって、日常的、常識的な“カセ”から自分を解放し、ハメを外しやすくしたり、集団との一体感や興奮を高め、ときにはトランス状態になって、感情的なカタルシスをはかることもできるようになります。

  あるいは、神など、何か大きくて絶対的な力をもった存在の一部になったように錯覚したり、ふだんは、「そんなこと恥ずかしくてできない」とか、他人からどう見られるかが気になってしまい、とてもできないような、大胆な行動にも出やすくなることでしょう。

 

 ですが、仮面は、それが示す役割にのめり込みすぎれば、やがてはずすことができなくなり、自分の本当の顔を失ってしまう危険と、いつも隣り合わせです。 

 

 

 ジャックは、顔に隈取りをすることによって、まるで「獣」のように強くなり、「生命をもった動物をうまくだしぬき、自分たちの意志をそれに押しつけ、ゆっくり舌で味わう美酒のようにその生命を舌なめずりしながら奪い去ったという事実」によって、ラーフに負けて傷ついた自尊心を、あるいは無意識に、回復させようとしたのかもしれません。

 

 

 つまり、ラーフの考えでは、文明的に整えられた環境で育った自分たちが、このままでは「人間」ではなくなること、この孤島では、生きながらえることはできず、いずれみな死んでしまうだろうということ、だからこそ、救助してもらえる機会を絶対に逃さないことが、第一なのです。

 

 けれども、ジャックは、生きものの命を奪い、その肉を喰らうことに、強烈な快感と満足を見出しており、自分と狩猟隊に烽火の番をさせようなどというラーフに、強い不信と憎悪を抱いています。

 

 要するに、ラーフの考え方では、文明社会に戻り、清潔な環境下で、もとどおり、文明人らしく生き延びることになるのだろうし、ジャックの生き方では、あまり長くはないであろう生を、獣のように生きることになるのでしょう。

 

 

 一般的には、ラーフの考えが、長期的目線での冷静な判断とされるのだと思いますが、たとえば、人間に養育されなかった野生児は、日々の食料やねぐらを自分で得て「生きること」が日常であり、ある種、「目的に満ちた」生き方をします。

 

 人は、自分が生まれた社会に適応して生きていくための、高い順応力をもって生まれてくるのですから、彼なり彼女なりが、何を重要視し、どのようにして生きていくかは、生まれ落ちた社会によって、いかようにでも変わりうるのです。

 

 ですから、たとえばジャックのように、野豚狩りをし、日々の食料を得て、たとえ短い生であっても、死ぬまで孤島で生きる、という道もあり得たでしょう。

 

 

 ラーフとジャックは、考え方や重要視するものが違うだけであり、それぞれに、互いを否定することなく、生きていてもよかったのです。

 けれども、それぞれがそれぞれの「仕事」をする上では、どうしてもある程度の数の仲間が必要であり、仲間の数と勢力の問題が、特に、ジャックの側の苛立ちを激しく燃え立たせていきます。

 

 そうして、ついに、その危険な対立と迫害は、少年たちすべてを巻き込み、命にかかわる事態を引き起こしてしまうのです。