他人の星

déraciné

「こんにちは」と「さようなら」のあいだ

 

 

       もし

       「こんにちは」 と 「さようなら」の間が

       もっと 短かったなら

       もっと 短くて はかないものだと 

       ちゃんと わかって いたなら

 

       きみに もっと やさしく できたの かな

 

       ぼくが しているのは

       寿命 とか 余命 とかの 話じゃなくて

 

       「きょう」 がある ってことは 「あした」 があって

       ずーっと ずーっと 合わせ鏡みたいに

       「あした」が 永遠に続くっていう

       勝手な 錯覚や 妄想を

       どうしても どうしても

       止められそうに ないんだよ

 

       だから やっかいだな とか

       うんざりだな とか 思っちゃって

       自分 だの 他人 だの 生活 だの

       めんどくさいもん

       みんな まとめて 根こそぎ 引っこ抜いて

       ぶん投げて しまいたく なるのだって

       こんどが はじめてな わけじゃ ない

 

 

       もし

       「こんにちは」 と 「さようなら」の間が

       もっと 短かったなら

       もっと 短くて はかないものだと

       ちゃんと わかって いたなら

 

       もっと 「けんきょ」に なれたの かな

 

       「きょう」 がある ってことは 「きのう」 があって

       ずーっと ずーっと 合わせ鏡 みたいに 

       うしろに 「きのう」を たくさん 背負ってて

       その荷の 重さに

       うまく 歩けなかったり 転んでしまったりするのは

       ぼく だけじゃないんだって

 

       どうして どうして

       いつまで たっても

       わからないんだろう

 

       ほんとは なんにも もってないくせに

       役にも立たない 玩具の 刀

       ふりかざして いまにも 斬りかかろうと

       かっこ つけたり しちゃうん だろう

       いつまでも