他人の星

déraciné

映画『メランコリア』(1)

 

 

      “私の生まれた日は滅び失せよ。”                                                 

                    —『ヨブ記

 

 

「新しい朝が来た、希望の朝だ」……

 

 目覚めた瞬間から、さあ、大変。

 はるか彼方まで、ずらりと並んだ、数えきれないほどたくさんのハードル。

 今夜の眠りにたどりつくまで、いくつ、ちゃんと飛べるかな?

 

 まずは、布団から、身を引きはがすようにして、起床。

 それから、服を着て(えーっと、今日は何を着よう?)、顔を洗い、トイレに行って、食事の支度をしたら、ご飯を食べて、歯を磨いて。

 

 今日は、何曜日?あぁ、家庭ゴミの日だ!ゴミ出さなくちゃ。

 

 大変、もうこんな時間!

 「行ってきます」。

 

 バスが来た、さあ、乗って。

 どこで降りなくちゃならないか、わかるね? 

 居眠りなんかして、寝過ごしちゃだめだよ! 

 

 さあ、着いた。しなくちゃならないこと、山のごとし。

 勉強。仕事。雑用。

 必要なことも、そうでないことも。

 コミュニケーションも、とらなくちゃ。

 

 ようやく、ランチの時間。

 お腹がいっぱいになれば、目の皮がたるむ、とはよく言ったもの。

 眠いのをがまんして、午後もがんばらなくちゃ……。

 

 

 戦い終わって、日が暮れて。

 さあ、帰ろう。

 帰るのだって、ひと苦労。

 もう少し、もう少しだからね……。

 

 「ただいまー」。

 ああ、疲れた………

 顔でも洗って、食事の支度して、ご飯を食べて。

 今日は、テレビ、何か、おもしろいのやってるかな。

  

 それから、お風呂に入って、歯を磨いて、お布団敷いて、寝~ま~しょ。

  

 

 お・め・で・と・う!

 “ぱーん”と、クラッカー鳴らして、お祝いしても、いいくらいですよ。

 えらい、あんたはエライ!

 今日を生ききったじゃないか、えらい!

 さすがだねぇ!天才だねぇ!

 よくやった!よくがんばった!

 

 

 ……ところが、この世界では、そんなことで、誰もほめてくれません。

 あたりまえだろ、そんなの。

 誰も気にも留めないし、本人も、そんなことはよくわかっています。

 

 

 けれども、これがかなりすごいことなんだということは、病気になってはじめて、身にしみてわかるのかもしれません。

 

 身体の病はもちろんですが、心の病にかかっても。

 

 そして、『メランコリア』の主人公の一人、“ジャスティン”のもつ、ある心の病もまた……。

 

 

 

“地獄へ ようこそ”

 

 「メランコリア」、というのは、言わずもがなうつ病のことで、「ギリシア語のメライナmelainaまたはメランmelan(黒い)とコレchole(胆汁)の合成からなることでもわかるように、体液のなかで黒胆汁が過剰になる」病のことです。

 

 古代ギリシャ・ローマでは、ヒポクラテスやガレノスが、人間の体液を、粘液、血液、黒胆汁、胆汁(黄胆汁)の4種類に分け、それらが調和と均衡を保てれば健康、いずれかが過剰になると病気になり、メランコリアは、黒胆汁の過剰による病であり、憂鬱質、心配性、生真面目、内気で寡黙、消極的で不安が強いなどの傾向を引き起こす、と考えられていたのです。(参考『コトバンク』)

 

 

 さて、映画は、姉のクレアと妹のジャスティン、それぞれの立場から描かれています。

 

 最初は、妹のジャスティン。

 

 映画のタイトルどおり、彼女は、うつ病を患っています。

 けれども、今日は、職場の同僚マイケルとの結婚披露宴。

 しかも、お金持ちの学者と結婚した姉クレアの、ゴルフ場付き豪邸が会場です。

 

 ジャスティンは、純白のウェディングドレスに身を包み、夫マイケルとともに、豪華なリムジンに乗って、会場へと急ぎますが、田舎の細い道に、小回りのきかないリムジンでは、どんな名ドライバーでも、カーブをうまく曲がれません。

 

 それでもジャスティンは、幸せそうな笑みを浮かべ、時折、マイケルとキスを交わし、しまいには自分がリムジンを運転しますが、うまくいかず、途中で降りて、徒歩で会場へ。

 

 予定より、2時間も遅れての到着に、式を取り仕切るクレアの機嫌は悪く、はじめから、雲行きは怪しいのです。

 

 招待客は、それでも祝福ムードを盛り上げますが、その空気を壊し、花嫁の表情を暗く曇らせたのが、誰あろう、ジャスティンとクレアの、(離婚した)母親と父親なのです。

 

 父親は、どこか頼りなさげで、自分の両隣に座った若い女性で同名の、二人の“ベティ”に気に入られようと、テーブルのスプーンをくすねてみせたりして、おどけています。

 

 そしていざ、娘への、お祝いの言葉を求められると、「私の大切な娘よ」と、父親らしいことを言いつつも、自らの、悲惨だった結婚生活と、「威圧的な女だった」と、元妻への不満をもらしてしまいます。

 

 言われた元妻も、黙ってはいません。

 

 「いまのうち、せいぜいはしゃいでおくがいい(結婚なんて、地獄にすぎないのだから)」と、娘に向けて、言うのです。

 

 

 ほかでもない、自分たちの「大切な」娘の、人生最高の幸せの日に、この元夫婦は、これ以上はないというほどの、“呪いの言葉”を吐きかけ合ったのです。

 

 けれども、ジャスティンは、それでも笑みを浮かべ、この牛頭馬頭の責め苦に、何とか耐えます。

 

 

 ………ですが、傷つきやすく、繊細で、(おそらくは、うつ病寛解期にあった)ジャスティンの心が壊れるまでのカウントダウンは、誰も知らないうちに、だいぶ前からはじまっていたのです。

 

 

 

 

                                《つづく》