他人の星

déraciné

映画『メランコリア』(4)

 

クレアとジャスティ

 

 さて、幸福になれるチャンスも、夫も職も、何もかもなくした妹のジャスティンは、その後、うつ病の症状でいうところの、昏迷状態に陥ります。

 

 昏迷とは、考えること、感じること、何かをしよう・したいという意志や意欲、ほぼすべての精神活動が制止し、日常生活に必要な活動が何もできなくなってしまう状態です。(ひどくなると、人と視線を合わせず、呼びかけにも反応しなくなります)。

 

 そんな妹に、何とかタクシーに乗って自分の屋敷まで来るよう説得したのが、姉のクレアでした。

 

 長かった髪を切り、生気のない青い顔をしたジャスティンは、自らの内面の闘争にすっかり疲れ果て、あれだけ好きだったお風呂に入ることもできません。

 

 食事も、彼女の好物だからとクレアが用意したミートローフを、一口食べるなり、「まるで灰のようだわ」と、それ以上、食べすすめることもできず、涙を落とすばかりです。

 

 それでもクレアは、まるで母親のように、妹の面倒をみるのです。

 

 

 そんなクレアとジャスティンの姉妹に、私は、聖書の中の、マルタとマリアの姉妹の話を思い出しました。

 

 イエス・キリストと十二人の弟子たちが、旅の途中、ある村に立ち寄ると、マルタという女性が、喜んで、彼らを家に迎え入れます。

 

 二人姉妹の姉、マルタは、主イエスをもてなそうと、あれこれ準備や支度に忙しくしているのですが、その間、妹のマリアは、姉を手伝うこともなく、ただイエスの足もとに座り、話に聞き入っています。

 

 そこで、マルタは、イエスに、マリアに自分を手伝うよう伝えてほしいと言うのですが、イエスは、それに応えて言いました。

 

 「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリアはその良い方を選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

                        『ルカによる福音書10-41,42』

 

 

 ですが、マルタの不満は、おそらく、多くの人がよく理解できる、よく知っている不満ではないのでしょうか。

 

 大切なお客さまをもてなすのに、あれもこれも、やることはいっぱい。

 私だって、イエスさまの話を聞きたいのに。

 まず、やるべきことをやってしまって、それから二人で話を聞けばいいのに、なんで私だけ?

 マリアったら、わがままなんだから!

 

 

 要するに、姉のマルタは、「~べき」、という「正しさ」や規範で動いており、妹のマリアは、「~したい」、という自らの思いや欲求で動いているのです。

 

 姉のマルタはクレア、妹のマリアはジャスティンになぞらえることができるのではないでしょうか。

 

 

 「ときどき あなたが ひどく憎くてたまらない」。

 

 クレアが、ジャスティンへ向けて、劇中、二度ほど発したセリフです。

 

 クレアとジャスティンは、性格や生活信条、行動の面で、対照的です。

 

 この姉妹の母親が言うように、「分別ある娘」クレアは、大金持ちの科学者と結婚し、18ホールものゴルフ場付きの豪邸に住んでいます。

 夫婦関係も円満、一人息子のレオは、まだ幼さの残る少年で、かわいいさかりです。

 

 妹のジャスティンが、しばしば「理解できない」行動を取るのに対して、クレアは、多くの人が望ましいと感じる、常識的な行動のできる、堅実な女性です。

 

 “一財産”かけて(それでも、大金持ちの夫には何でもない額ですが)、お膳立てした披露宴を、当の新婦、妹のせいで台無しにされ、ブチ切れても、うつ病が悪化した彼女を引き取り、面倒を見る寛容さと優しさをもっています。

 

 けれども、彼女たち姉妹は、不信に満ちた人間関係と、破綻した夫婦関係のお手本にしかならなかった、同じ両親のもとで育ったはずです。

 

 にもかかわらず、なぜ姉妹で、こうも違うのでしょうか………

 

 

 

傷ついた心の修復法

 

 他の人から見ると、あまりに無茶でめちゃくちゃな行動をとるジャスティンに比して、クレアは、他の人から見てわかりやすい方法で、過去の埋め合わせをしているかのように見えます。

 

 自分は、父と母のようには決してならない、なりたくない。

 そのための夫選びにも、成功したようです。

 高名な科学者である夫のジョンは、穏やかな性格で、クレアにも、行き届いた気遣いを見せます。

 

 その上、何と言っても、彼は大金持ちです。

 

 先々の心配や不安とはまったく無縁の豪邸に住む「分別ある」奥さまは、誰の目にも、望ましく、うらやましく映るに違いありません。

 

 要するに彼女は、誰の目から見ても「正しい」、「非の打ちどころのない」、「幸せ」な、人並み以上の人生と生活を実現してみせることで、自分の自尊心を修復したのではないかと思います。

 

 

 それに対して、ジャスティンは、自分の父と母の、不信に満ちた人間関係を全身で浴びるように感じてきたときから、まるで時間が止まってしまったかのようです。

 

 彼女の行動もまた、深手を負った自尊心を修復するためのものなのですが、他人の目から見れば、「とてもそうとは思えない」、「迷惑だ」、などと思われてしまいがちなのではないでしょうか。

 

 

 ですが、このような行動は、PTSD心的外傷後ストレス障害)の症状に、とてもよく似ています。 

 

 過去のトラウマ経験があまりに強烈だった場合、それを過去にすることができず、むしろ、似たような経験を繰り返し自分に体験させることで、途切れてしまった過去との融合と和解を実現しようとして、(当然、うまくいくはずもなく)、懲りずに失敗しつづけるのです。

 

 とてもつらそうで、苦しそうで、まわりにも迷惑がかかっているし、「やめればいいのに……、っていうか、やめてほしい」、といってもそう簡単な話ではなく、わかっていても、心についてしまったクセのように、勝手に空回りしつづけるのです。

 

 

 和解できない過去に早々に背を向け、世間一般の規範に照らして「正しい」ライフスタイルを自分のものにすることで自尊心を回復したクレア。

 そして、和解できない過去に、未だ正面きって、負け戦に挑み続けているジャスティン。

 

 

 彼女たち姉妹は、自尊心の修復法も違えば、自分自身を守る方法も、“こわいもの”や不安に思うものもまた、違っているようです。

 

 

 

 そんな彼女たちの頭上には、地球と死のダンスを踊る惑星『メランコリア』が、着々と近づきつつあったのです。

 

 

 

 

                                 《つづく》