この世に、平等な人間関係など、存在しないと思う。
程度の差こそあっても、どちらかが組み敷かれ、どちらかが組み敷いている。
もし、“私たちの関係は、平等だ”、と思っている人がいるのなら、その人は、ほぼ確実に、「相手を組み敷いている」。
なぜなら、不平等や不利、不満は、相手に組み敷かれ、弱い立場におかれた人が感じるものだからだ。
人は、自分が誰かを傷つけたことは、簡単に忘れてしまうが、誰かに傷つけられたことは、決して忘れない。後々まで、不快な後遺症がのこる。
ただ、同じ“組み敷かれる”立場であるにしても、喜んで組み敷かれる場合もある。
それは、尊敬とか、崇拝とかいうもので、その人が踏んで歩いた地面すら、愛おしくて、ほおずりして、接吻したいような気持ちに支配される。
熱烈な恋愛の、初期症状のようなものだ。
14歳のウニは、はじめて、安心して心を開くことのできる大人に出会った。
それが、漢文塾の新しい女性教師、ヨンジ先生だった。
大人らしい、落ち着いた物腰と、淡々とした表情と口調で、彼女が最初に黒板に書いたのは、「知っている人の中で、本心まで知っているのは何人?」
ウニの心に、静かに、波紋が広がっていく。
私は、私が知っている人の中で、その人の本心まで、知っている人は、どのくらいいるだろうか。
私の本心を知ってくれている人は、私の知っている人の中に、いったい何人、いるのだろうか……
人は、自分のかたちを、社会や世の中に合わせて、どこかを切り取ったり、付け加えたりして生きている。
ときには、シンデレラの姉たちのように、幸福や成功のためなら、サイズの合わないガラスの靴に、自分の足を切り取り、血だらけになってでも、むりやりその型にはめ込もうとする。
自分の身を、危険から守るために、そしてときには、自分に有利にことが運ぶように、自分の姿かたちを変える。
それは、仮面をつけた虚像なのだけれども、往々にして、人と人は、お互いの本心のありかに思いをめぐらすこともなく、仮面どうしで素通りし、すれ違っていく。
忙しいから、余裕もないから、面倒くさいから、それでいい、と、思っている。
ウニは、兄から、友人から、ボーイフレンドから、黙って組み敷かれていた。
その方が、ことを荒立てなくてすむから。
面倒なことにならずにすむから。
自分さえ、我慢して、嵐が過ぎ去るのを、待っていれば……
ウニが、ヨンジ先生に、兄から暴力を受けていることを打ち明けると、先生は、「殴られないで」、と言う。
つまり、黙って傷つけられていてはだめ、ということだ。
安心して、心を開いてもいい大人がいることを、はじめて知った彼女は、そこから少しずつ、変わっていく。
なのに、ヨンジ先生は、ある日突然、何も言わずに、漢文塾をやめてしまう。
大好きな先生の姿が見えないことに動揺したウニは、新しく就任した先生に、ヨンジ先生の消息をたずね、先生が荷物を取りに来る日と時間を聞き、そのとおりに来たのに、ヨンジ先生は、すでに去ったあとだった。
やりきれない思いで、一度は、塾の教室を出たものの、自分にいいかげんな嘘の時間を教えた新任の先生のもとへ戻り、自分の思いをぶちまける。
「どうして私に嘘の時間を教えたの!ちゃんとした時間を聞いていれば、先生に会えたのに!」
ウニは、はじめて「話した」。
感情の道具、あるいは武器としての、言葉を、ようやく発することができた、ということだ。
しかし、ウニは、そのせいで、塾をやめさせられてしまう。
自分の部屋に閉じこもり、家族から罵声を浴びせられ、最初は何も言わずにうずくまっていたが、とうとう、これまでの、家族に対する不満や鬱憤とともに、発作のような金切り声を上げ、大爆発を起こす。
「私は間違ってないし、性格も悪くない!」
驚いて部屋に入り込んできた家族の前で、兄がウニを殴り、兄の暴力が、ようやく両親に知られることになる。
声をあげることで、ウニが、自分を守った瞬間だった。
ある日、ヨンジ先生から、荷物が届く。
漫画を描くのが好きなウニのために、スケッチブックと、手紙には、「突然やめてしまってごめんね。今度会ったら話そう」という言葉があった。
けれども、ウニは、もう二度と、ヨンジ先生には、会えなかった。
ヨンジ先生の、ウニへ向けた、さいごの言葉、だったのだろうか。
“死”って、意外と、近くにあるものだったのね。
そうかもしれない、とは思っていたけれど。
わたしも、よくは知らなかったわ、と。
《つづく》