他人の星

déraciné

蟻がたかっているかもしれない

 

 

 テレビは、騒ぎ立てている。

 

 外来種のカメだとか、ザリガニだとか、サカナだとか。

 

 そいつらが、生態系を破壊しているから、じゃんじゃん駆除したまえ、と。

 

 しかし…… 

 

 「生態系、著しく破壊してるの、オマエだろうがあぁぁぁぁ!!!」

 と、すべての動植物から、鋭いつっこみが入る。

 

 そう。取り返しがつかないくらいに、生態系をもっとも著しく破壊したのは、ヒト、である。

 

 だから、駆除してくれ、ということで、ヒトは、ヒト同士で駆除し合う。

 それはもう、苦しい苦しい生き地獄である。

 

 

 日ざかりに、蟻の葬列を見た。

 とはいえ、この葬列、どこかおかしい。

 かつがれている蛾が、まだ動いている。弱っているが、たしかに、動いている。

 

 どうしよう、と思った。

  蟻にとっては、貴重な蓄え、けれども、蛾はまだ生きている。

 生きているなら、終わりまで、生きた方がいいのかもしれない。

 

 私は、蝶ならば、ためらいなくさわれるが、蛾にはためらいがあった(差別だ、偏見だ、わあぁぁぁぁぁ)。

 

 なんとかつかまってくれないかと、蛾に日傘の先を向けていると、誰かが、ひょいと、蛾を持ちあげて、蟻から救ってくれた。

 

 背筋がしゃんとして、すらっと長身の、おじいさんだった。

 日中、熱かったから、弱ってしまったのだろう、と、彼は言った。

 

 それからは、アフリカの人喰い蟻の話にはじまり、骨董でどえらい儲けて、月々奥さんに、50万円ものこづかいをやる80代の金持ちじいさんの話、自分は自衛隊員だった、という話(写真も見せてもらった)、自分が通っている耳鼻科の女医さんが、これまたきれいな人で、奥さんがヤキモチをやいて、別の耳鼻科に変えろと言っている話、地名と武士の名字の話、と続いた。

 

 自分は80代だが、まわりからは若く見られる、というから、ああ、本当に、お若いですね、と私は言った。

 

 本当に、そう思った。

 

 50代の自分の方が、どれほど元気がないか……

 

 

 夜、ときどき、タロットカードを手にする。

 

 “自分”を表す場所に、たびたび、「死」のカードが出る。

 このカードは、死、そのものというよりも、新しいことや変化を表す、というが。

 

 出すぎである。

 

 「おまえはもう死んでいる」、ということだろうか……

 

 しかし、死んでいるとしても、この人間は、息を吸えば欲を吸い、息を吐けば、欲を吐き出す。

 

 欲すること、呼吸するがごとし、である。

 

 夏目漱石が書いたとおり、日本の文明開化はあまり急速すぎて、次から次へと、皿にのった料理が運ばれ、それを口へ放り込んだかと思うと、すぐに次の皿が来るので、味わっているひまなど無い。

 

 美味しいのか、まずいのか、何を食べているのか、わかりもしない。

 

 しょせん、文明の歪みですよ、政治の貧困ですよ、といったところで、おまえがおまえを駆除しろ、という話だが、やはり死ぬのはこわいので、生きている。

 

 生きている、というが、本当に生きているのだろうか。

 

 もしかしたら、私にも、すでに、蟻がたかりはじめているのかもしれない。

 

 葬列は、すでに、出発しかけているのかもしれない。