他人の星

déraciné

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第7話

 

「おまえがここへ来ることは、ずっと前から、わかっていたよ。」


 そう言った魔女の、銀色の瞳は、おそろしく澄んで美しかったので、娘は思わず、息をのみました。

 吸い込まれそう、とはこのことです。

 まるで、高い断崖の上に立ち、底の底まで見通せる、透明で深い水を見ているような気持ちになりました。


 「気をつけなさい。」

 

 魔女の言葉に、娘は、はっとわれに返りました。

 

 「それ以上見ると、死にたくて、たまらなくなってしまうよ。おまえは、王子の命を助けてほしくて、ここへ来たんだろうに。」
 「………ええ、ええ、そうです。」

 

 娘は、あわてて目をそらすと、言いました。


 「おばあさんの、おっしゃるとおりです。どうか、どうか急いで、お願いしたいのです。」
 「それは、このわたしにとっちゃ、まったく、わけもないことだが。しかしその前に、忘れてはいけない、大切なことがあるよ。おまえは、何とひきかえに、私にたのみごとをもってきたんだい。それをまず、おしえてくれなくてはね。」


 娘は、おそろしさのあまり、どきどきする心臓を、抑えつけるように、胸に手をあてて、言いました。


 「………わたしの、命です。どうか、わたしの命を、とってください。」
 「ほう。命ねぇ!」


 魔女は、森に生えた木々が、根こそぎふるえるような声をあげて、笑いました。


 「あいにくだがね、命はもう、じゅうぶん間に合っているんだよ。捨てるほどね。ほら、見てごらん。」


 魔女が、そでをさっとひとふりすると、あやしげな本がいっぱいつまった書棚が消えて、たくさんの、小さな小瓶に入った炎が、ゆらゆらゆらめいているのが見えました。

 

 「命など、おしくもないわ、くれてやる。そう言って、ここへ打ち捨てて、たのみごとをする者など、おまえのほかにもおおぜいいるのさ。わたしはときどき、不思議に思うくらいだよ。あれほど、命、命と言いながら、実際、命にかえてもいいものは、山ほどあると見える。………だから、わたしはもう、そんな価値のないものなど、これ以上ほしくないんだよ。」

 
 それをきいて、娘は、すっかり困ってしまいました。

 

                             《第8話へ つづく》

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第6話

 

 王子が、命とりの病にかかっていることを知った娘は、誰よりも深く胸を痛め、どうにかして、その命を救うことはできないものかと、けんめいに考えました。

 ですが、食べもせず、眠りもせずに、どれだけ頭を悩ませても、何の妙案も浮かばず、ただ時間だけが、むなしく過ぎていきました。

 

 こうしている間にも、王子の病は、どんどん、死へむかって悪化していく一方なのだと思うと、娘はもう、いてもたってもいられなくなりました。


 結局、娘が思いつくことができたのは、国境近い東の森の奥にすむ魔女に頼み込むことだけでした。

 

 その魔女というのは、森に入り込んだ人間の子どもを喰らうとか、不可思議な術を使って、人間を森へ誘い込み、その一族の命まで根こそぎ奪うとか、悪いうわさが絶えたことのない、とてもおそろしい魔女だったのです。

 


 娘は、そこへ出かけていく勇気を、なかなかもつことができませんでしたが、命にかかわることですから、もう一刻の猶予もありませんでした。

 それで、やっとの思いで覚悟を決めて、娘は、昼でも暗い、鬱蒼とした東の森へ、誰にも何も言わずに、こっそりと、出かけていきました。

 

 それもそのはずです。

 

 娘があの悪い魔女のところへ行ったということが、村の人々に知られれば、娘ばかりか、娘の家族までもが、村を追われることになるのです。

 それほど、その魔女は、心ある人ならば決して近づくべきではない、忌むべき存在として、国じゅうの人から、大変嫌われていたのです。

 

 森は、しんと静まりかえり、まるで、娘をひとのみにしようとするかのように、二本の木が、曲がりくねって、大きな口のように開いて、待ちかまえていました。

 実際、娘が一歩、足を踏み入れたとたん、木々は、光をさえぎるように閉じてしまい、あたりは真っ暗になりました。

 そして、何か、動物の目のように黄色い、ギラギラした光が、小さなランプのように、ぽつぽつ灯り、道を指し示しました。

 

 娘は、罠にはまったウサギのように、おそろしい気持ちになって、いますぐ引き返したくなりましたが、うしろの道は、深い闇に閉ざされて消えてしまい、心細い灯りが照らす方へ、進むしかありませんでした。

 

 

 そのようにして、魔女の家にたどりついたときには、魔女は、なぜ娘がここへ来たかを、娘以上に、よく知りぬいていました。

 

                             《第7話へ つづく》

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第5話

 

 もちろん、かりにも王子たるものを閉じ込める部屋ですから、冷え冷えとした、鉛色の牢獄ではありません。

 贅沢のかぎりをつくして飾り立てられた広い部屋には、必要なものも、そうでないものも、何でもありました。

 王子のために、日々、豪華で美味な食事が運び込まれ、毎日のように、めずらしい贈りものが届けられました。

 部屋の中には、こぢんまりした舞台までありましたから、音楽を奏でる者、芝居をする者など、多くの旅芸人が呼ばれ、王子が退屈しないよう、おなぐさめするようにと命じられました。

 そして、王子が喜ぶ度合に応じて、相当の金品やほうびをとらせたのですが、なかには、このほうびのおかげで、芸の道に戻らず、一生遊んで暮らした者さえいたということです。

 

 しかし、王とお后のはからいや尽力にもかかわらず、王子は、しだいに元気をなくしていきました。

 

 どんなおいしい食事を前にしても、食欲はなく、そのからだはどんどんやせ細り、どんな素晴らしいものを贈られても、その心は、いつでも凍てつくように冷たかったのです。

 

 やがて王子は、胸を掻きむしるほどの痛みと苦しみに、息もできないほどになり、とうとう、重い病に倒れてしまいました。

 

 

 王子が深刻な病にかかり、明日をも知れぬ命であるという話は、またたく間に、国中に広がりました。

 王子の命を救うため、医師という医師、呪術師という呪術師、祈祷師という祈祷師が、国の内外から集められました。

 そして、ありとあらゆる治療法が試されたのですが、王子に回復のきざしは、まったく見られませんでした。

 

                             《第6話へ つづく》

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第4話

 

 王子はそれまで、他人の、あからさまな敵意や憎悪にふれたことはありませんでした。

 

 城の中のものも、外のものも、誰もが王子によくしてくれるのですが、それは、王子という立場への親切であって、自分でなくてもよい気がすることも、少なくはありませんでした。

 

 そういうたぐいの好意にばかり接していると、やがて、心の奥に、暗く淋しいさざ波が立ち、何かが少しずつ、すさんでくるものです。

 

 それが、娘と一緒にいると、まるで違いました。

 

 王子は初めて、みずからの気持ちの流れに、安心して身をゆだねている自分を見出すことができました。

 そのとき、王子は、これまで気づこうとしなかった自らの孤独を知るとともに、信頼と安らぎとを知ることになったのです。

 

 それは、娘の方も同じことでした。

 

 お金という、生活の糧を得るために働く娘には、どこでも、人であるか否かを問われることはありませんでした。

 決められた時間に、決められた分の仕事を、きっちりこなすことができるならば、それが石でも人でも、かまわなかったのです。

 ことに、人をなごませることができるような愛嬌に恵まれなかった娘は、一緒に働く女たちにも相手にされず、誰にもあたたかい胸を開くことはありませんでした。

 

 それが、王子の前では、まったく違ったのです。

 

 その胸が、自ら、ひらかれることを望む声に、娘は、自分であって自分ではないものを感じ、畏怖しました。

 その気持ちは、王子から、その高貴な身の上を明かされたときにも、何ら変わることはなかったのです。

 


 一方、王とお后は、わが子の身勝手な行動を、黙って見守るしかありませんでした。

 

 たとえ自分たちが、何を言ったところで、利発な王子は、あのおだやかなもの言いでもって、自分たちを言いくるめてしまうだろうことは、わかっていました。

 子どもの中に萌えいずる望みや思いの前には無力で、頼りない一個の人間であることを思い知らされるのは、一国の主である以前に、親として、耐えがたい屈辱でさえありました。

 


 ですが、王子には、どうやら懇意になった村娘がいるらしい、という話を聞き及ぶに至っては、王とお后は、すっかり冷静さを失ってしまいました。

 


 野山での、ささやかな狩りならば、身の危険さえ防ぐことができるなら、やがて王となるものにふさわしい強さやたくましさを養うには、むしろ好ましいことでした。

 

 けれども、男女の問題となると、話はまったく別です。


 王子、というものは、しかるべき身分のお妃をむかえ、いずれは一国の王となる身分のものであって、それが、どこの馬の骨とも知れない、まして、貧しい村娘などと親しくなっては、王家だけでなく、国の行く末にも傷がつくというものです。

 

 
 しかし、王子の心は、すでに、親の知らない、恋の謎深い霧の向こう、森の奥まで、迷い込んでしまっていました。

 自分の立場も、将来の役割と義務も、そればかりか、あれほど楽しみだった野山の狩りさえも、すっかり吹き飛び、寝ても覚めても、心の中は、娘のことでいっぱいでした。

 

 王とお后は、この国の未来をかけて、王子の問題を、何とかしなければと、強く思うようになりました。

 まちがった道へ足を踏み入れようとしている子どもを正すのは、親のつとめだと、よくわかっていたからです。

 

 そこである日、王子が出かけようとしていたところを、家来たちにとらえさせ、高い塔の上にある部屋へ、閉じ込めてしまったのです。

 

 恋というものは、ただいっときの熱病、ときがたてば、病は癒えるもの。

 

 王とお后は、そう考えたのです。

 

                     《第5話へ つづく》        

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第3話

 

 娘の方は、足早に歩きながら、頭の中を、いろいろな思いがよぎるのに、耐えていました。

 

 あの首飾りは、ずっと前から、欲しくてたまらなかったものでした。

 それを、「あげる」と、目の前にぶらさげられたのですから、本当に、喉から手が出るようでした。

 

 しかも、それを差しだした相手というのが、他でもない、あの少年だったのですから、なおさらです。

 


 娘は、年の頃、自分と同じくらいの少年を、市場で最初に見かけたとき、この人は、ほかの誰とも違う、この世にたったひとりしかいない人だと、強く感じたのです。

 

 目(ま)深(ぶか)に被った帽子からのぞく、紺碧の瞳の、まっすぐなまなざしは、どんな宝石よりも尊く、美しく見えました。娘は、この少年を見かけるたび、気もそぞろになり、とても平静を保っていられませんでした。

 その少年が、思いがけず、声をかけてきたものですから、心臓が飛び出しそうなほどどぎまぎして、恥ずかしくて、その場にいたたまれなかったのです。

 

 冷たい石畳の上で、足を止めたとき、どうして、あんなにそっけなくしてしまっただろうと、娘は、ひどく悲しくなりました。

 

 ですが、娘と王子の間には、分かちがたい縁と、時の運が、味方についていました。

 

 互いに後悔の念を抱き、引きつけられるようにして、再び、村の市場で出会ったとき、二人は、お互いの目に、同じ表情が浮かんでいるのを見てとりました。

 そして、どちらからともなく、おずおずと歩み寄ると、お互いを、みつめあったのです。そこに、言葉はいりませんでした。


 それからというもの、王子の見る世界も、娘の見る世界も、明るい光と、あざやかな色とに、満ちあふれました。


 娘は、王子よりも、二つ年上でした。

 日々の厳しい暮らしは、娘の繊細な手肌も髪の毛もいじめぬきましたが、その心だけは違いました。

 ハシバミ色の瞳の中には、王子がこれまで見たことのないほど、たくさんの秘密と真実とが隠されていました。


 

 その日以来、娘の胸もとには、王子が贈ったあの青い石の首飾りが、いつもゆれていました。

 王子は、たびたび娘のところへ出かけていっては、一緒に家畜の世話をしたり、空いた時間には、楽しい語らいにふけり、一日一日が、あっという間に過ぎていったのです。

 

                             《第4話へ つづく》

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第2話

 

 それからというもの、王子は、足しげく、その村へ、通うようになりました。


 どう猛な、獣たちの前でも、荒々しい男たちの前でも、こわいもの知らずだった王子が、たったひとりの娘の前では、ウサギよりも臆病になりました。


 娘が、市場で、青い石のついた首飾りを手にとって、じっとみつめ、もとの場所へ戻したとき、王子は、ようやく機を得たように思いました。

 持ち合わせていたわずかなお金で、その首飾りを買い求めると、急いで娘のあとを追ったのです。

 

 王子が呼び止めると、娘は振り返り、あの瞳で、不思議そうにみつめました。

 その途端、王子は、顔が熱くなって、もはや、何を言ったらよいのか、わからなくなりました。


 「……あの、これを、そなたに。」

 

 王子は、はじめて、自分で自分を、疑いました。

 父と母の前でも、誰の前でも、ものおじせずに、お腹の底から、はっきりと声を出すことのできた自分は、どこかに去っていました。


 「欲しかったのでしょう?……きっと、そなたに似合うと………」


 勇気をふりしぼって、差し出した首飾りに、困惑する娘を見ると、王子は、それ以上、何も言えなくなってしまいました。

 

 娘は、うつむいて、小さな声で言いました。


 「お気持ちには、感謝します。ですが、わたしには、そんな贈りものを受けとる理由がありません。」


 そう言うと、娘は、軽く会釈をして、足早に去ってしまいました。

 

 はじめて聞いた、娘の声は、鈴の音のように心地よく、王子の耳に響きました。

 しかし、彼は、今までにない切なさと痛みを感じて、その場に立ち尽くし、娘の去ったあとを、ただみつめるばかりでした。


 野辺の狩りで学んだ仕掛けや罠は、何の役にも立ちませんでした。

 それどころか、相手の欲しいものをエサにして、その心を得ようとした自分に、王子は、ひどい嫌悪を感じたのです。

 

                             《第3話へ つづく》

裏切られた青年のためのおとぎ話 「一生分の喜びと幸せと満足」第1話

 

 

 むかしむかし、ある国に、それはそれは美しい、王子さまがおりました。

 王とお后の愛を受けて、すくすく育った王子は、十五の誕生日を迎えたばかりでした。


 彼は、少年の頃から、家来も連れず、何も言わずに、ひとりで出かけていくことを大変好みましたが、そのせいで、王とお后から、よく叱られました。

 

 ですが、そのたびに、王子は、こんなふうに言うのです。

 

 「お父さまや、お母さまが、わたくしのことを、どれほど愛しんでくださっているか、よくわかっているつもりです。けれども、わたくしは、いずれこの国を治めねばならぬ身。知らねばならぬことは、山ほどあります。そのためには、この地位に守られるばかりでは、何も知ることができません。ですから、心のおもむくまま、王たるものの道を求めて、外の世界を、歩きまわってみたいのでございます。どうか、いましばらく、わたくしのわがままを、お許しいただけないでしょうか。」


 そう言って、王子が、深い瑠璃色の瞳をあげると、王とお后は、もうそれ以上、何も言うことができないのでした。

 

 そして王子は、またもや、あちらの森へ、こちらの深山へと、出かけていくのでした。

 ひとり、野辺で、簡単な仕掛けを作っては、それに動物たちが引っかかるのを見るのが、とにかく楽しくてたまらなかったのです。

 あるときには、子鹿を一頭、肩に担いで帰ってきて、城のものたちを、大変驚かせたこともありました。


 それに、王子が出かけていくのは、野山ばかりではありませんでした。あちらこちらの村のものたちが、それぞれ自慢の品や獲物を持ち寄って開く、大きな市場、それに、荒くれた男どもが集まって、喧嘩やこぜりあいもご愛敬の酒場まで、とにかく、王子の姿を見たことがないものなどいないというほど、王子は、方々へ出かけていったのです。

 

 また、王子は、城の外へ出るとき、服装に気を配ることを忘れませんでした。

 野山の動物たちは、王子の服装などまったくかまいませんが、村の人々は、そうはいきません。

 高貴な身分のものらしい、立派な身なりで出かけていっては、村人たちは、驚きおそれ、ちやほやして、少しも王子を自由にしてはくれないでしょう。

 何ごとも、特別あつかいされてしまっては、ものごとを、本当に楽しむことはできません。

 ですから、王子は、使用人のように地味で目立たない服を着て、帽子の下に、金色の巻き毛を隠して、出かけていったのです。

 

 

 さて、とある村に、ひとりの娘がおりました。

 

 娘の家は、村の中でも大変貧しく、そのため娘は、朝から晩まで、近隣の家々をまわって家事の手伝いをしたり、家畜の世話をしたり、ときには、大きなお屋敷のお手伝いをしたりして、家計を助けていました。


 そんな娘の、唯一の楽しみは、時折催される村の市(いち)場(ば)で、きれいな色の石や、それを麻縄で編み込んだ首飾り、金や銀に光る腕輪、動物の皮で作られた小さな人形、動物の彫り物など、めずらしい品々を、見てまわることでした。

 

 お金がなくて、何も買えなくとも、それらのものを、ただ見てまわるだけで、苦しい生活や慌ただしい日常を、ほんのひとときでも、忘れることができたのです。


 その市場には、王子もよく訪れていました。

 王子は、身なりは質素で貧しいこの娘を、一目見たとき、胸の高鳴りを感じました。その次には、まるで、ぶどう酒でも飲んだように、からだが熱くなり、足は、こわいときのようにすくんでしまって、動かないのです。


 娘は、栗色の長い髪を、三つ編みにして両耳の横に垂らし、そのハシバミ色の瞳を輝かせて、そこに立っていました。

 

 以来、王子は、娘のことが忘れられなくなってしまったのです。

 

 

                             《第2話へ つづく》