他人の星

déraciné

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (6)

「美しいものを愛する」ということ ロドリゴ神父にとって、キリストは、「自分の生涯の中で最も美しいと思ってきたもの」であり、最も聖らかと信じたもの」であり、「最も人間の理想と夢にみたされたもの」でした。 太宰治は、『駆込み訴え』で、裏切り者の…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (5)

宣教師たちの見た日本―“天国に一番近い島国” ところで、宣教師=司祭(パードレ)たちにとっての信仰とは、どのようなものだったのでしょうか。 宣教師たちが、キリスト教弾圧下の日本にやってきたのは、キリスト教布教の灯を消さないためでもあったのですが…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (4)

「弱き者」、汝の名は……… ところで、「この世の弱き者」の代表として、物語の重要な位置を占める「キチジロー」は、ロドリゴ司祭を裏切り、役人に売っておきながら、彼の牢に近づき、しつこく何度も告悔(コンヒサン)をしに来るのです。 同じ信者仲間からは…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (3)

「踏んでも、踏まなくても」―なぜ、キリシタンは弾圧されたのか ところで、なぜ、キリシタンは弾圧されたのでしょうか。 弾圧されてもなお、(踏み絵を踏むとも、踏まずとも)、信者たちが守りたかった“信仰”とは、いったい何に対する信仰だったのでしょうか…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (2)

“この世の愚かな者、弱き者の宗教” 「しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。」 コリント人への手紙 第1 第1章26節 キリスト教は、紀元前後、ローマ圧政下で…

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (1)

1640年、江戸時代初期の日本。布教活動をしていたイエズス会の高名な宣教師、フェレイラが、厳しいキリスト教弾圧下で捕らえられ、ついに棄教した、という知らせに、弟子のセバスチャン・ロドリゴ神父と、フランシス・ガルペ神父は耳を疑う。 日本へ渡り、自…

「クリュティエ」

わたしは 太陽をみつめたことがない みつめることさえ あなたは 拒む わたしが ただの 花だから あなたを 追って 追いつづけて 愛想笑いも 上手くなった 不幸だなどと 思われたくもないから 涙が出るほど まぶしい あなたを 明から宵まで 目で追って 花弁は …

愛玩犬

ぎらぎらした 真夏の太陽が じりじりした 熱い地面が ぼくを 苛立たせる 「ぎらぎら」も 「じりじり」も カーテン越しに いくら 優しくても 空調がきいて 部屋の中は いくら 涼しくても ぼくは とんがって あつくなっている 誰かの 足音も 話し声も 笑い声も…

『葛城事件』(4) ※ネタバレあり

二人目の犠牲者、そして………… 保の自殺によって、リミッターが外れたように、稔は、凶行に走ります。 刃先の長いサバイバルナイフが、その手にしっかりと握られ、陽の光を受けて光るのを、稔は、自室のベッドの上で、じっとみつめます。 そして、リュックを背…