他人の星

déraciné

『バットマン ダークナイト』(4)

“正義感”のあやうさ

 

 「ジョーカー」は、口の裂けた自分の素顔に道化師のメイクをし、ハービー・デントは、素顔そのものが“トゥーフェイス”、二重性をもつのに対して、バットマンは、仮面をかぶり、素顔を隠しています。

 隠す、ということは、“バットマン”にすべてを奪われないよう、仮面の下に、ブルース本人の、あらゆる感情と表情を守っている、ということにもなります。

 

 ジョーカーは、「ジョーカー」によって、ジョーカー以前の自分のすべてをうばわれており、だからこそ、バットマンに、仮面を取れ、と迫るのかもしれません。

 

 ブルースには、バット・スーツを着用することが、日常の自分から、バットマンになるいわば「儀式」になっており、そこで本来の自分とバットマンとの間に、一線を引いていることになるのです。

 

 皮肉にも、ブルースが思いを寄せるレイチェルは、『バットマン ビギンズ』で、バットマンこそ素顔で、ブルース本人の方を「仮面の人だ」と言いました。

 レイチェルは、無意識的に、ブルースとの間には、心の距離があり、二人が結ばれることはあり得なかったことを、はじめからわかっていたかのようです。

 

 そのレイチェルが選んだのが、潔いまでの正義感をもつ素顔のヒーロー、ハービー・デントであり、ともすれば、自らの行いこそいつも正しいという、正義感の暴走を招きがちな姿勢に対してさえも、シンパシーを感じていたのかもしれません。

 

 主人公を選ばなかったレイチェルは、その時点で、『バットマン』の物語世界にとって用が済んでしまったかのように、デントが救助されると同時に、爆死してしまいます。

 そして、その事実が、次のクライマックスへとつながっていきます。

 

 ジョーカーは、デントの正義感を、レイチェルを死に追いやった“裏切り者”の警察官に向けかえさせます。

 死の直前、レイチェルが、デントのプロポーズに「イエス」と応えていたことも、彼を、感情の激流に落とし込むのに、より好都合に作用したことでしょう。

 

 怒りや憎しみなど、感じることが不快な負の感情は、それが根の深いものであればあるほど、その人間にとって、正当で合理的、と思えるはけ口さえみつかれば、真の原因の究明など、どうでもよいのです。

 

 デントのような、自らの正義感に疑いをもたない者ほど、その感情のベクトルを、他人によって操作され、それと気づきもせずに暴走しやすく、まさに、ジョーカーにとっては、朝飯前、赤子の手をひねるが如く、簡単な仕事だったことでしょう。

 

                            《(5)へ つづく》

 

 

 

 

 

 

『バットマン ダークナイト』(3)

仮面が仮面でなくなるとき

 

 人は、日常生活という舞台の上で、あたかも俳優が演技をするかのように、何かの役割を演じている、と言ったのは、社会学者ゴフマンです。


 なぜ、演技をするかといえば、それは、人間が、他人からよく見られたいという欲求をもっているからであり、他人というものは、その人の外見的特徴や言動など、表に現れたものでその人を判断するからです。


 他人から、何か、有益なものを得るために、その人の期待に添った自分を見せてアピールすることを、自己呈示(ゴフマンは、印象操作としています)と言います。


 周囲の状況や、相手によって、人間は、自分の中の様々な要素を使い分け、必ずしも良い側面ばかりでなく、状況によっては、わざと悪い側面を見せることもあります。

 

 人間は、周囲の人間との間で、自分がどんな役割を演じるべきか(どんな仮面をかぶるべきか)、意識的かつ無意識的にふるまいを決めていきます。


 つまり、自分がある行動を取ったとき、周囲の他人が「喜んだのか」、「怒ったのか」、「悲しんだのか」、「こわがったのか」、刺激と反応によるフィードバックの積み重ねによって、次からは、相手の反応をある程度予測し、自分にとって、もっとも良い結果がもたらされるように行動するようになるのです。

 

 たとえば、怖がらせることが、相手に脅威を感じさせ、自分の言うことを聞かせるのに有利だ、という成功体験を繰り返し経験すれば、そのようなコミュニケーションスタイルと人間関係のパターンがつくりあげられていくことになります。

 

 けれども、こわいのは、仮面を取ればもとの自分に戻れるはずが、仮面が顔にはりついて取れなくなり、文字通り、仮面に自分本来の姿や命までも吸い取られることもあり得るということだと思います。

 

 出自から考えれば、ジョーカーもまた、その例外ではないでしょう。

 

 そして、ここにもう一人、仮面をかぶっていない“正義のヒーロー”が現れます。

 新人地方検事の、ハービー・デントです。

 彼は、何かを実行に移すとき、判断に困ると、何でもコイントスで決めようとします。このコインは、最初は、両方とも表であり、裏面はなかったのですが、レイチェルと別々の場所に監禁され、デントのみがバットマンによって救出され、大火傷を負ったときに、コインの裏面もともに焼けてしまい、裏面ができた、ということのようでしたが、私は、気がつきませんでした。

 

 つまり、彼もまた、ジョーカーと同じように、彼自身の裏の顔によって、バットマンのような仮面をつけていない「正義の人」、「ホワイト・ナイト」であった表の顔を、奪われてしまうのです。

 

 

 

                             《(4)へ つづく》

 

 

『バットマン ダークナイト』(2)

ジョーカーの“物語”

 

 映画を見ている間、私は、「ジョーカー」の中に、一度入ったら出られなくなるような、深い落とし穴のような、けれども、とてつもなく魅力的な、一つの世界を見ていました。

 

 彼は、素顔の上に、道化師のメイクをほどこしていますが、口が裂けたような傷がある理由について、二つの話をします。

 

 一つ目は、マフィアのリーダーのうちの一人、ギャンボルを殺すときに話した物語です。

「俺の親父は―酒浸りで酔っては暴れた ある夜あんまりひどく暴れ狂ったもんで―お袋は包丁で防衛 親父はそれが気に入らなかった まるっきり ただの 少しも 親父は俺の目の前で お袋を刺し殺した 笑いながらな そして俺を振り向くと言った “そのしかめツラは何だ” 親父は近づいてきた “そのしかめツラは何だ?”俺の口に刃を入れて―“笑顔にしてやるぜ” そして…」

 

 もう一つは、ハービー・デントを探して、セレブたちのパーティを急襲し、レイチェルの顔にナイフを当てて話した物語です。

 「俺には あんた似の美人のカミさんがいた 口癖は “シケた顔しないでもっと笑いなさいよ” 彼女はギャンブルに明け暮れて借金漬け 脅しに顔を切られた 手術の金もなく泣き暮らす彼女 俺は笑顔が見たかった 傷があってもいいと伝えたかった それで―カミソリを口に入れて裂いた 自分でな どうなったと? 醜い顔がたまらないと―彼女は出て行った 笑えるだろ 今の俺は笑いっぱなしだ」

 

 どちらが本当の話か、あるいは両方とも本当か、嘘かはわかりませんが、「ジョーカー」は、かなり長い年月の間、「笑顔」以外のすべての表情を失った(奪われた)ことになります。

 

 たとえば、「悲しいから泣くのか」、「泣くから悲しいのか」、あるいは、「おかしいから笑うのか」、「笑うからおかしいのか」、という話になるのですが、感情が先にあって、行動があとに来ると常識的には思われがちです。


 けれども、実際にはその逆で、意識されない行動(表情など、顔を動かすことも入ります)が先行して持続するうちに、やがて“意識”がそれに気づき、合理的な理由が後付けされる、ということが、認知科学によって、明らかになっています。

 

 彼の口はいつも、まるで笑っているように裂けているのですから、他人から、様々な状況や場面で、いわれのない迫害や差別を受けたりしただろうことも、容易に想像がつきます。

 

 そして、悲しくても、腹が立っても、ずっと「笑いっぱなし」の彼は、そのうち本当に、悲しみも怒りも憎しみも、人間のすべての行ないも、世界も、お金も、権力も、すべてが「ジョーク」に映るようになり、そこから、自分や他人の生き死にすらジョークになるまで、それほど遠い道のりではなかっただろうと思うのです。

 

 

                             《(3)へ つづく》

『バットマン ダークナイト』(1)

境界を越えてくるもの 

 

 私は、“ピエロ”を見ると、頭の中で、警戒を促すような音が鳴り響くのを感じます。

 

 どうしてでしょうか。

  

 人間が、たいした理由もなく、“現実の世界”だと取り決めた境界。

 その向こうから、今まで一度も見たことがないようでいて、ひどくなつかしい感じのするものが、こっそりと紛れ込んでくる……。

 

 そんな感じがするのです。

 

 ところで、私はいったい、いつの間に、この顔を、「ピエロ」だと学び知ったのでしょう……?


 子どもの頃、サーカスを観にいったという覚えはありません。


 では、某ハンバーガーショップのマスコット・キャラクターでしょうか。
 ちょっと、違うような気がします。


 では、遊園地で、子どもたちに風船か何かを配っていた人が、そんな格好をしていたのでしょうか。

 あるいは、そういうこともあったのかもしれません。

 

 覚えているのは、いくつかの、映画やドラマ、アニメーションなどの中で、彼らの姿を見たとき、ああ、これはピエロというものだ、と、すでに知っていた、ということだけなのです。

 ということは、音もなく、気配もなく、彼、もしくは、彼らピエロは、気がついたときには、私の内的世界の中に、潜り込んでいた、ということになるのでしょうか。

 

 

 精神分析創始者フロイトによれば、人間は、現実の社会に適応するため、無意識に、心の中の様々な事象を検閲にかけ、意識にのぼらせても安全だと判断されたものだけを表出し、そうでないものは、無意識下に沈めておくのだそうです。

 

 無意識下に沈めておかなければならないもの、というのは、表に表せば、社会的な制裁を受ける可能性が高いだけでなく(攻撃欲求や、性的なものなど)、同時に、その人の生のエネルギー源なので、危険な外界から守られなければならないものなのです。

 

 もしかしたら、「ピエロ」には、「ここまで」と、「ここから」の、何かの境界線のようなものを越えようとしていることを知らせる役目があるのかもしれません。

 

 

 『バットマン ダークナイト』の物語は、「ピエロ」たちの登場によってはじまります。

 銀行強盗の一群が、みな、ピエロの面をかぶっていて、その中に、こっそりと、ほんものの“ジョーカー”が潜んでいるのです。

 

 仲間同士で、仲良く銀行強盗をやり遂げて、さて、帰って、ボスと仲間内で山分け……なら、ある意味“平和”?!ですが、事態は、仲間殺し、という凄惨な場面へと展開していきます。


 相手の顔さえ見ずに、用済みの仲間を始末した彼こそ、“ジョーカー”、トランプをしていて、引き当てたときに、少し緊張感が走る、ちょうどあの感じで、彼が登場してくるのです。

 

                             《(2)へ つづく》

 

 

 

コーヒー・トリップ

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       実に 素晴らしい飲みものだ

 

       この 色がいい
 

       何と 表現したら いいのだろう
 

       深くて 濃い


       カップに 注ぐと
 

       底が見えない

 

 

       この 香りがいい


       火を使って 豆を煎る なんて
 

       人智の 極みだ

 

 

       この 苦みがいい
 

       苦みを うまみと 味わえるなんて
 

       奇跡の 瞬間だ
 

       人生じゃ
 

       まっぴらごめん だもの


 

 

       ほかに 何も なくとも
 

       ほかに 何も できなくとも

 

 

       この 小さな 世界 へ
 

       この 夜の 液体の中へ
 

       渾沌(こんとん)と 非日常の世界へ

 

      

       うずもれて
 

       夢を 見たい

 

 

       いま だけは

 

 

 

 

 

 

ワイナリー

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       「そりゃ むかしは
 

       大酒も 飲んださ」

 

 

       時計うさぎは
 

       赤い眼で 言う

 

 

       「ぼくは 下っ端で

     

       安酒 しか


       飲めなかったけど

 

 

       ほんとは

 

       広くて 大きい
 

       ぶどう畑 が 欲しかった

 

       ぶどうは 欲しいだけ
 

       きみに あげる
 

       もっていって いいよ
 

       なんて
 

       太っ腹なこと
 

       二つも 三つも 言ってさ

 

 

       ぼくは ただ

     

       あの
 

       すてきに ふくざつ な


       ぶどうの つたの下を


       全力で


       駆けてみたかったんだ

 

       爽快 だったろうな
 

       この上なく」

 

 

       時計うさぎは


       ふいに


       うつむいて

 

       時計を見る

 

 

       そして


       嘲笑を漏らす

 

 

      「これはね クセだよ
 

      いやになるね」

 

 

      いまや

 

      アンティークで

 

      動きもしない

 

      古くて さびた
 

      懐中時計を
 

      捨てようにも 捨てられず

 

      じっと みつめる
 

      ただの
 

      酔いどれ うさぎ

 

  

      あくび ひとつして
    

      赤い眼を しばたたく

 

 

      「むかしは
 

      あったんだ
 

      そんな夢 が さ」

 

 

      たったひとつ
 

      残された
 

      ねむり という
 

      つかの間の
 

      広くて 大きい

 

      野原に 落ちて

 

      ただの
 

      野ウサギに なって

 

 

      いま どこを
 

      駆けているのやら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パラダイス ロスト

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       ダディー

 

 

       お陽さまは


       いつも ずっと
 

       おまえを見てる
 
 

       だから


       決して 恥じぬよう
 

       まっすぐ 正しく


       生きておいき と


       おしえたね

 

 

       けれども ここに


       陽の光は ない

 

 

       マミー

 

 

       お月さまは
 

       いつも ずっと


       おまえを見ているよ
 
 

       だから

 

       決して 恥じぬよう
      

       強く 優しく


       生きておいき と


       おしえたね

 

 

       けれども ここに


       月の光は ない

 

 

       だから きょう


       ぼくは ぼくの


       おとむらいを する

 

 

       黒いりぼんで
 

       縁をかざって


       土に 埋める

 

 

       ダディー、マミー

 

       あなたたちの


       かわいい 子どもは


       もう 死んだ

 

 

       ダディー、マミー

 

       あなたたちの


       かわいい 子どもは
 

       墓石の下

 

 

       脆弱にして 邪な


       自由と


       燭台の下で

 

       杯を交わし

 

 

       ねじけて 冷たい


       快楽と


       影に潜んで


       口づけを交わす

 

 

       さあ 飛んでゆこう

 

       星 ひとつない


       闇夜の マント
 

       身につけて