他人の星

déraciné

『エレファント・マン』(3)

奇異なふつうの人々

 

 エレファント・マンは、特殊な容貌をもっているだけで、ごくふつうの人間であり、まわりの人々もまた、ふつうの人間たちです。


 ところが、このふつうの人々は、ほとんどふつうの行動を取ることができていないのです。


 たとえば、ジョン・メリックが、「エレファント・マン」と呼ばれるほど、他の多くの人と大きく異なる特殊な容姿をもっていなかったとしたら、まわりの人々は、どのように行動したでしょうか。

 

 珍しいものだからこそ、金になるのですから、興行師バイツは、メリックを、見世物にしようなどとは、思いもしなかったことでしょう。

 

 外科医トリーブスは、職業的な興味を刺激されることもなく、まして、“善意”から、彼を病院内で保護しようともしなかったことでしょうし、ふだんの冷静さを、あの用務員の前で乱すこともなかったでしょう。


 病院長カーゴムもまたしかりで、仮に、誰か一人の医者が、病院で患者の一生の面倒を見ようといっても、まったく相手にしなかったことでしょう。

 

 舞台女優ケンドール夫人はどうでしょうか。


 彼女もまた、強い知的好奇心の持ち主であり、『ロンドン・タイムズ』の投稿を読んで、エレファント・マンの存在を知るのです。

 

 そこには、こう書いてありました。

 

 “彼のあまりにも醜い外見に、女性や気弱な人間は、見ただけで飛んで逃げ出す”
 “知能レベルは高く、読み書きができ、崇高とまでは言わないが、温厚な性格である”

 

 少し意地悪な解釈をすれば、彼女がメリックのもとを訪れたのは、ちょっとした肝試しのようなものだったのではないでしょうか。


 そして、実際に会ってみて、彼の礼儀正しさと知性が、その怪物のような容姿と裏腹であるという「ギャップ」と、その態度が期待以上に紳士的であり、彼女の自尊心をひどく高めてくれたために、好意的に感じるようになったのではないのかと、私は思うのです。


 ですが、人間は誰しも、外見に似つかわしくない意外な側面を持ち合わせているものであり、その人のことを、よく知りたいと思うかどうか、という動機づけと、よく知ることができるほどの機会に恵まれるかどうかの問題、ということになるでしょう。

 

 もちろん、用務員も、ちょっかいなど出さなかったでしょうし、彼の仲間たちも同様です。

 ああした、すぐに退屈して、次から次へと刺激を求め、なだれのように流れ込んでいく人々は、いつも、“面白そう”な話を探しているのですから。

 

                            《(4)へ つづく》