そして、三日後の晩、運命の雨が降りだしました。
王子は、人々が寝静まるの深夜を待って、そっと城の庭へ出ると、湖のほとりで剣を抜き、自分の左腕の内側を、深く、えぐるように切り裂きました。
すると、おびただしい量の血が噴き出しましたが、雨が、みるみるうちに、それを洗い流してゆきます。
王子は、自分の血のしみこんだ剣をおくと、腕の血をぬぐい、布できつく縛ってから、城をあとにしました。
この国で、自らの血のなかに自らの剣をおくのは、覚悟の死であることを知らせる意味がありました。
王子は、一度も城の方をふりかえらず、その場をあとにしました。
しかし、王子は、大量の出血と傷の痛みのせいで、ひどくめまいがして、何度も休まなければなりませんでした。
そして、もう少しで森をぬけるというときに、とうとう気を失って倒れてしまったのです。
王子は、倒れる寸前、あの娘の顔を思い浮かべました。
ああ、わたしは、城へなど、戻るべきではなかった。わたしの美しい人。たとえ、悪い魔女に会ったとしても、あれほど心根のまっすぐな人のことだ、きっと何か、深いわけがあったに違いない。それをききもしないで、乱暴に追いやってしまった。ここで死んでしまうのならば、せめてもう一度、会いたかった………。
王子が、次に目をあけたのは、森の奥深くにある、たいへん粗末な小屋でのことでした。
娘は、父と母と死に別れてから、この小屋でひとり、つつましやかに暮らしていたのです。
古くて、ごつごつした木を組んだだけのその小屋は、ちょっとした嵐が来れば、すぐにでも崩れてしまいそうでした。
野菜を煮込むにおいが、部屋に漂ってきたかと思うと、足音がして、娘が、静かに近づいてきました。
「ああ、王子さまが、目をお覚ましになった。」
娘は、胸がいっぱいになって、こう言うのがやっとでした。
娘は、自分をみつめる王子の、優しいまなざしを感じながら、しばらくの間泣いていましたが、やがて、涙をぬぐってこう言いました。
「本当に、あぶないところでした。あなたさまが、お城からお逃げになったのを、お城の召使いのひとりが気づいて、あなたさまのうしろから、そっとついてきていたのです。きっと、ご心配だったのでしょう。それで、朝方、とうとうあなたさまが力尽きて倒れてしまったところを、わたしに知らせてくださったのです。………あの方は、あなたさまの小さいころを、よくご存知なのですね。」
王子は、娘の話をきいて、その召使いが、自分に身の危険を知らせてくれたあの老いた召使いであることをさとりました。
「ああ、むかし、そなたのことを、夢中になって話したこともある。わたしは、むかし、はじめて出会ったときから、そなたのことを忘れられなかった。そなたという人は、どんな心にも、まっすぐ飛びこむことしか知らない。わたしはそれを、誰よりもわかっていたはずなのに、本当に、ひどいことをしてしまった。もし、わたしを許してもいいというのなら、どうか、すべてを話してほしい。」
そこで娘は、これまでにあったことを、正直に、王子に話しました。
王子が死の病にかかったことを知って、どうしても助けたいと思い、魔女のところへ行ったこと。そして、王子の命のかわりに、自分の一生分の喜びと幸せと満足をさしだすと約束しながら、それができず、王子を死なせてしまったこと。それから十年が立って、魔女が王子をよみがえらせたこと、そのすべてを話したのです。
《第16話へ つづく》