やがて、三年の月日が流れ、娘も王子も、ともに、十八の年を迎えました。
国をあげての、盛大なお祭りのような婚礼の儀式には、とっておきの海の幸や山の幸、めずらしい料理がテーブル狭しとならべられ、陽気なかけ声や笑い声とともに、何十杯も、何百杯もの酒がグラスに注がれ、豪華絢爛な宴は、いく日も続けて行われました。
ですが、それだけに、祭りの後というのは、文字どおり、まるで、輝き華やいだ波がすべて引いてしまったように、淋しい気がするものです。
実際、王子は、いまや妻となった娘と二人きりになったとき、その日常を、どんなふうに、退屈せずにすごしていったらよいやら、わかりませんでした。
それで、王子は、これまで、自分に対する好意として、数々の贈りものをもらってきましたから、自分もまた、同じようにしようと思いました。それで、虹色に輝く薄い絹や、鳥の羽根でつくられた織物、銀朱に輝く宝石や珊瑚、それに、美しい旋律を奏でる楽器など、めずらしいものを探させては、次から次へと、妻への贈りものにしました。
ですが、むかし、王子は、自分がそれで満足したり、幸福になったためしがないことを、すっかり忘れていたのです。
贈りものを受けるたび、娘は王子に、丁寧にお礼を言いました。しかし、それがどんなに貴重な宝であっても、娘は、王子が期待したほどには、喜んでいないように見えました。尊敬と感謝、絶え間ない称賛を欲しがった王子にとって、娘は、もの足らなさすぎたのです。親も、家来たちも、何かにつけ、王子をほめそやするのに、娘の態度は、あまりにもかすかで、ぼんやりとして、王子には、わからなさすぎたのでした。そんな娘に、王子は、だんだん苛立ちを感じるようになっていったのです。
ですが、娘の方では、いまや夫婦となった王子と、その心を通じ合うためには、いったいどうしたらよいのか、わからなかったのです。王子は、気まぐれに、大変貴重だというものを、次から次へとくれるのですが、そのたびに、何だか、自分までもが、王子の獲物の一つにすぎないように、感じられたのでした。
そのうちに、王子は、姫を見下すようになりました。
そうして、ある日、娘の前に、丸い、小さな石ころを置いて、言いました。
「そなたには、宝石よりも、ただの石の方がふさわしいと見える。ものごとの真の値打ちは、まことに高貴なものにしか、わからぬのだ。おまえは、さながら、その石ころのようだ。どこにでもありふれて、足蹴にされ、踏まれても、何とも言わぬし、何とも思わぬ。その価値しか、ないのだからな。」
王子の、高らかな笑い声に、姫の胸は、鋭い刃物で切りつけられたように、痛みました。
その痛みが、娘に、口を開かせました。
「花は、大地に抱かれて咲き、鳥は、空に抱かれて、飛んでいくのでしょう?そのとき、花は大地になり、大地は花になり、鳥は空になり、空は鳥になるのです。雲は、風に押し流されて、風は雲に、雲は風になる。雨は、草木を潤し、草木は雨になり、雨は草木になる。それは、どれほど安らかな思いのすることなのでしょう?人である私には、想像もつきません。あなたとわたくしは、どうしたら、そのようになれるのでしょうか。」
それは、娘の発した、せめてもの本心でしたが、王子には、異国語のようにわけのわからない言葉でしかなかったのです。
王子が、娘のことを、あまり好ましく思っていないらしい、といううわさは、またたく間に、お城中に広がりました。気に入らなければ、可憐なすみれでも、愛らしい小鳥でも、殺してしまう王子のことです。機嫌を損ねれば、何をするかわからない王子をこわがり、老いた王とお后は、何も言うことができませんでした。
まして、位の低い家来たちは、みな、王子のご機嫌とりがしたいのと、王子が見下すものを自分たちが見下して悪いわけがない、という気持ちとで、ことさら娘に冷たく接するようになりました。
そうなると、娘の居心地は、ますます悪くなるばかりでした。
あちこちで交わされる話し声や、付き人が髪をくしけずる、その指にも、着替えのたびに、体にふれる、その手にも、針のような悪意を感じて、娘の心は、痛みにふるえました。
おじいさん、おじいさん、と、娘は、たびたび心の中で叫びました。
すると、ある晩、夢に、おじいさんが現れました。おじいさんは、娘が好きだった、あの夕暮れ色に染まる草原に立ち、その瞳は、まるで若者のようにいきいきしていました。そして、こう言ったのです。
「何ごとにも、ときがある。月の満ちるにも、欠けるにも。波が寄せるにも、返すにも。花が咲くにも、枯れるにも………」
そのとき、遠い空から、白鳥の、高く細い、悲しげな鳴き声がきこえてきました。
娘は、何ともいえない、哀しい予感に包まれました。あぁ、きっと、おじいさんは、空の上の国へと、旅立ってしまったのに違いない、と思ったのです。
おじいさんの魂は、翼を広げ、どこまでも、どこまでも、自由に飛んでいきました。そうして、空から降る、一滴の雨となって、大地を潤すこともできましたし、野を渡る風となって、人の涙を乾かすこともできました。
眠りから覚めたとき、娘は、自分が泣きぬれているのに気がつきました。
その夢を見てからというもの、娘は、自分が、心から喜ぶことだけでなく、心の底に芽吹いた種に、心からの、あたたかい涙を流すこともできないでいることを、ひどく悲しく思うようになったのです。
そうして、娘は、日の出ている間は、悲しい目をして、ぼんやりと、窓の外ばかり見てすごし、夜になれば、ため息ばかり出て、寝つけなくなってしまったのでした。
そんな娘に、王子は言いました。
「一体、何が不満だというのだ。女たちは誰でもみな、わたしと結婚したがった。その中から、たった一人、そなたを選び、こうして、妻という座においてやっているというのに。」
娘は、静かに応えました。
「そうではありません、王子さま。何も、不満など、ありはしません。」
「ではなぜ、眠る頃になって、これみよがしに、ため息をついたりなどするのか。」
「胸が、とても苦しいのです。それに、とても悲しいのです。わたくしの心は、きつい枷にはめられてしまったように、呼吸をするのも、ままなりません。」
「そんなことは、わたしの知ったことではない。そなたは、黙ってわたしの言うことをきき、わたしをあがめていればよいのだ。かつて、父上は、こう言われたことがある。強き者は、どんな状況にあっても、悩み迷うことなく、自ら自身を保ち、動揺することなどありはしない、と。つまるところ、そなたは、弱すぎるのだ。」
その言葉は、鋭い矢のように、娘の胸に刺さりました。
その深い痛みに耐えながら、娘は言いました。
「おそれながら、王子さま。わたくしは、かつて、わたくしをいつくしんでくださった方から、聞いたことがございます。獣たちが、何かを心得た目をしたときは、本当に、何かがわかったときなのだ、と。けれども、人間が同じ目をするときは、本当は、何もわからないときなのだ、と。わからないものを、わかるように装い、何ものかの意のままになって安心していられるのは、命のないもの、すなわち、人形だけでございましょう。」
すると、王子は、これでしまいだ、という顔をして、娘を見ました。
「よく、わかった。」
こうして、娘の存在に、我慢ならなくなった王子は、あのすみれや鳥のように、今すぐ、自分の目の前から消してしまえばよいのだ、と思ったのです。
《第6話へ つづく》