他人の星

déraciné

人間、好きですか (2)

 「生き甲斐を求めようとする人たちは、自分が、自分の周囲の世界に、なんとかして、受けいれてもらいたいと思っているのです。つまり、自分たちは、現在、この世界から、しめ出されていると感じている。」

                なだいなだ『人間、この非人間的なもの』ちくま文庫 p27

 

 なだ氏は、「リンゴ色」と「バラ色」を例にあげ、むかし、リンゴは赤い「リンゴ色」と決まっていたが、いまでは、必ずしも赤ではなく、青色も黄色もあり、また、いまでは「バラ色」のバラはむしろ少なくなった、それでは、「人間的」、という言葉はどうか、人間はむかしから人間的だったとはいえず、現在ではなおさら、「人間的」という言葉と実際の人間との間には、実質的なつながりがなくなっている、つまり、「人間的」、という言葉が、善悪などの価値判断、「人間はかくあるべしという希望と結びついたまま、凍結してしま」い、ありのままの人間とはまるで関係のないものになっている、と述べています。


 たとえば、「人非人」、「人でなし」という言葉は、犯罪あるいは犯罪まがいの残酷非道な行いや、とくに、社会規範や道徳(実は、こうしたものはすべて、“人間かくあるべし”という希望、つまり、ありのままの人間とはかけはなれたところにそのイメージが結ばれて-呪縛されて-いるのですが)に反する行いをした人間に向かって投げつけられることが往々にしてあります。


 しかし、どんなに非道いことをした人間でも、人間である以上、「私」と地続きである以上、「私」という人間の中にも、そうした「非道い」行いの種があるのを見て取るわけです。

 

 「判事は殺人者と向かいあって、その目をのぞきこむと、一瞬間殺人者が自分の(判事の)声で話すのを聞き、その心の動きや能力や可能性を自分の心の中にも見いだすが、つぎの瞬間にはもう一つの自分、判事にかえり、空想された自我の殻の中に反動的にもどって、自分の義務をはたし、殺人者に死刑の宣告をする。」
                ヘッセ/高橋健二訳『荒野のおおかみ新潮文庫  p71

 

 ここでいう「空想された自我の殻」、というのは、ヘッセ自身が説明しているように、自我「私」というものは一人に一個しかないのではなく、たくさんの「我の束」から成っているにもかかわらず、私たちは、ほとんど生まれつきのようにして、「私」は一つだと思い込んでいることです。

 

 なぜなら、人間の社会というものは、そうした前提なしには、たちまち立ち行かなくなるからなのです。

 

 きのうの「私」=今日の「私」=明日の「私」、つまり、人間の内的外的特徴というものは一個の人間に一個しかなく、継続して変わらないという前提なしには、成り立つことが難しくなってしまいます。同じ人間なのに、一日、一時間、一分、一秒先には、別の「我」が出てきて、その都度その都度、自分や相手が、まるで「人が変わったように」なってしまうのでは、状況は予測不可能となり、ものごとはさっぱり前へ進んでいかなくなってしまいます。


 家庭も、学校も、職場も、すべてのものごとが、時間どおり、効率的かつ生産的にすすんでいくことが優先される社会では、なおさらです。


 それで、私たちは、生まれると「名前」を与えられ、その他にも、性別や年齢、人種、家柄、社会的地位など様々にカテゴライズされ、所属させられ、性格さえも、たとえば親などから「~ちゃんは、~だね」などと言い聞かされ、周囲から規定されることによって、本人がそうだと思い込めば、ある程度、そのような傾向を示すようになるのです。

 

 そうして、私たちは、この世界に生み出された以上、そうした人間観に否応なく縛られて生きていかざるを得ないのです。

 

 なだ氏によれば、人間はこの世に生まれ落ちたとき、あまりにも無力で、親など自分を保護してくれる大人なしには、生きながらえることもできず、だからこそ、孤独は死の恐怖に結びつき、人は、自分より大きな何らかの集団や共同体への所属感を求めることにとって、孤独(=死)を避けようとするのだといいます。人間にとって、共同体から閉め出されることほどおそろしいことはないため、人間は、たとえ自己洗脳をしてでも、共同体が求める「人間的人間」であろうと、死にものぐるいの努力をするのではないでしょうか。
 ましてそれが、もっともわかりやすい、共通のカテゴリー、「人間」(=人間的人間)なのですから、なおさらです。

 だからこそ、社会規範や道徳に反する行いをした人間に、「人非人」、「人でなし」、という言葉がどれほどの威力をもつか、人間ならば誰しもがよく知っていて、罰として投げつけ、人としての尊厳や自尊心を根こそぎ奪い、「スティグマ」(烙印)とするのでしょう。

 

                             《(3)へつづく》