何か面白そうな映画はないかと、youtubeで予告編を見ていて、気になったのが、本作でした。
「面白い」映画、というのは、私にとって、たとえば、こんな感じです。
①何もかも忘れて、お腹を抱えて笑える映画
②静かな痛みを、胸にのこす映画
③驚愕とともに、知らないことにふれさせてくれる映画
④水の流れのように、じわじわと、悲しみがしみてくる映画
⑤痛快、痛烈な風刺と描写のきいた、辛口な映画
⑥その他、「観ている私」を忘れて引きこまれる映画
『マンチェスター・バイ・ザ・シー』は、何となく、②と④を満たしてくれる映画のような気がしたのです。
物語は、海の上に、一隻のボートが浮かんでいて、すっかり大人になりきった兄と弟、それに、兄の方の、まだ幼い息子とが、のんびりゆったり、魚釣りを楽しんでいる、静かな場面から始まります。
この映画では、過去のできごとが、現在と何らかの理由でリンクするとき、過去の場面が回想として映し出される、というような形で、現在と過去を行き来しつつ、物語がすすんでいきます。
主人公のリーは、ボストンで、アパートの水回りの修理や、トイレの詰まりまで、何でも引き受ける「便利屋」をしながら暮らしています。
ですが、彼は無愛想で、友人らしき存在もほとんどなく、むしろ、わざと、人に好意をもたれることや、親密に交流することを避けているように見えます。
バーで、自分に気がありそうな女性が声をかけてきても、誘いをかけることはなく、その代わりに、自分の方をちらちら見ていた男性二人に、突然殴りかかったりします。
彼にとって、一日を生きるということは、死ぬまでの時間つぶし(結局、生きるというのは、すべての虚飾を取り払ってしまえばそういうことなのですが)であり、彼は、わざと自らを孤立させているのです。
彼には、兄がいたのですが、心臓に病を抱えており、やがて、一人息子のパトリックを残して亡くなってしまいます。
兄は、とうに離婚しており(のち、元妻は、アルコール依存症を抱えていたことがわわかります)、天涯孤独になったパトリックの面倒を見るために、リーは、一旦休職し、以前暮らしていた街、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」にしばらくの間、とどまることになります。
遺されたパトリックは、父の死後、混乱してパニックを起こしたりもしますが、アイスホッケーやバンド活動、二股の恋愛を楽しむごくふつうの十六歳であり、その彼が、心を開けるのが、叔父のリーなのです。
二人のやりとりには、遠慮がありません。
互いによく、相手の言葉をかき消すように、乱暴に言葉を投げ合う、という場面に、彼らの信頼関係の厚さが表されています。
やがて、パトリックの今後の生活の拠点をどうするか、という問題をめぐり、二人は対立します。
パトリックは、友人も、恋人もいる街を離れたがらず、リーはリーで、ボストンに仕事があるから、という理由で、パトリックを連れていこうとするのですが、「便利屋ならどこでもできるだろう」、というパトリックのもっともらしい言い分のように、どうやら、何かわけあって、リーはその街に棲みたがっていないらしい、ということがわかってくるのです。
《(2)へ つづく》