他人の星

déraciné

裏切られた青年のためのおとぎ話 「真実は井戸の底に」第10話

 

 やがて、姫の結婚話は、村人たちのうわさにのぼるところとなり、そのうわさは、さまざまな鳥たちのさえずりや、野の動物たちのささやきをとおして、森の古井戸の底までも伝わることとなりました。

 

 「大変だわ。どうしましょう。」


 その話を聞いて、姫は、うろたえるばかりでした。

 

 「わたくしに、そっくりなあの人。あの人は、それでいいと言ったのかしら?でも、だとしたら………」


 オオワシが、姫の言葉のあとを継いで、言いました。

 

 「その知性や思想でもって、何かを企んでいるのに違いなかろう。………だが、おまえはそれで?………それで、何が、困るというのだ?」


 姫は、そんなふうに問いかけるオオワシに、少々困惑を覚えました。

 

 「あなたはなぜ、そんなふうにおっしゃるのですか?」
 「たかが一国、あるいは、周辺諸国を巻き込んでの政治の問題。古今東西、よくある話だ。滅びるものは、いずれ滅びる。遅いか早いか、時間の問題だけだ。それに、滅びはときに、救いですらある。」


 「救い………」

 

 姫は、オオワシの言葉を、かみしめるようにうつむきました。


 「わかります。大きな、とても大きな意味では、あなたのおっしゃるとおりだわ。……でも、わたくしの気持ちは、そうはいかないのです。わたくしには、お父さまやお母さまが、あまりにも………」


 姫がそう言うと、オオワシは、姫の目を、のぞき込みました。

 

 「おまえには、まだ、お父上や、お母上に対する、思いが残っているのだね?」
 「……ええ。ええ、そうなのです。父も母も、何も知らずにいると思うと、たまらないのです。わたくしこそ、正真正銘、おふたりの娘だと、告げたいのです。お父さまと、お母さまが、恋しい。……それに、わたくしは、この国に対しても、大きな責任があります、ですから………」


 姫がそう言うと、オオワシは、鋭い目に、強い光を宿して言いました。


 「おまえの言うことは、よくわかった。おまえは、最後のときまで、自分がなすべきことをなそうとしている。自ら、心のおもむくままに、その思いを遂げようとしている。」


 オオワシは、そう言うと、長い間動かさなかった大きな翼を広げようと、苦しみながら、もがきはじめました。


 姫は、びっくりして、止めようとしました。

 

 「何をなさるのですか。いけません、まだ傷が。」
 「いいや、大丈夫だ。おまえが、傷の手あてをしてくれたおかげで、いまなら、おまえを乗せて、井戸の上ぎりぎりまで、何とか飛べるだろう。そのくらいの力は、戻っている。いまが、その力を使うときなのだ。」
 「いいえ、いいえ。あなたにそんなことはさせられません。あなたの傷は、ただの傷ではないのです。ここで無理をすれば、お命にかかわるかもしれません。そのことが、おわかりにならないのですか?」


 こう言いながら、姫は、感情があふれ出すのをこらえきれず、思わず、涙を一粒、落としました。


 「あなたは、わたくしの大切な支え。あなたにもしものことがあったら、わたくしは、生きてはいかれません。ここは、わたくしひとりの力で何とかします。それができないのならば、わたくしはこのまま、ここにとどまります。ですから、お願い。どうか、無理をなさらないで。」


 しかし、オオワシは、姫の言うことを聞きませんでした。

 

 「わたしは、いつか、こんな日が来るのではないかと、ずっと思っていたのだよ。もし、おまえのお父上とお母上が、目をもつ者ならば、おまえの思いが伝わるだろう。耳をもつ者ならば、おまえの言うことがわかるだろう。さあ、乗りなさい。時間がない。おまえはいま、行かなければならない。」

 

 姫は、苦しい息の下から、りんと響く声で自分に話しかけるオオワシに、もうそれ以上逆らえませんでした。つらくて、悲しくて、とても苦しい涙を流しながら、姫は、言われるままに、オオワシの背中に乗りました。


 すると、オオワシは、何度か羽ばたきを繰り返したかと思うと、力強く舞い上がり、そのまま勢いをつけて、一気に、井戸の出口まで上昇しました。


 「さあ、早く、井戸の外へ!そして、行っておいで!」


 姫は、オオワシの力が、もうそこでいっぱいいっぱいなのを感じました。オオワシは、古い傷から血が噴き出しても、命をあやうくしてまでも、姫を、ふたたび外の世界へ連れ戻してくれたのです。姫のほほを、いく筋もの涙が伝って落ちました。

 

 姫が井戸の外へ飛び出したのを見届けたオオワシは、力尽き、そのまま井戸の底へと、真っ逆さまに、落ちていきました。

 

                            《第11話へ つづく》