他人の星

déraciné

不謹慎、上等(3)

 

 8年半ほど前の東日本大震災の際、被災地のライフラインは寸断され、当然、テレビを見ることもできませんでした。

 あとで聞いた話ですが、その間、テレビでは、沿岸部のガス爆発火災など、「派手で(画になる)」場面を繰り返し流し、長崎の義母は、「これでは誰も助かるまい」と、被災地に居住していた私たちを思い、絶望して泣いたらしいのです。

 

 電気が復活したころには、震災前と後とで、まるで、世界がすべて変わってしまったかのようでした。

 

 テレビで流れるCMは、「不謹慎」とみえるようなものが避けられ、一日中、繰り返し、同じものしか、流れませんでした。

 お花見の頃になると、今度は、桜の下で酒を飲んで浮かれるなんて不謹慎、という風潮さえ出てきました。

 

 家族も、家も、身近な人たちも無事だった、私の身でしか、ものごとを考え、ふり返ることはできません。

 けれども、私があのとき、何を思っていたかといえば、「とにかくふつうの、あたりまえの生活に戻りたい」、それだけだったのです。

 

 「不謹慎」だの、「不謹慎でない」だの騒いだところで、流された家は戻らず、亡くなった人が帰ってくるわけでもなく、必要なのは、一刻も早く、遺された人が、安心できる住みかを得て、安心して“明日”を考えられることなのに、と思っていました。

 

 けれども、それ以来、あの、震災直後に流れていた映像と、さして何も変わらない現実が、世界を覆ってしまったように、思われてならないのです。

 

 “復興”とは、駅舎や駅が新しくきれいになることや、新しいマンションが次から次へと建ち、繁華街のショーウィンドウが、きらきらしたブランドもので装飾されることだったのだろうか?

 

 いまでも、それらを見るたびに、どこか、ひどく苦々しい気分になるのです。

 

 災害の派手な映像ばかりを取り立てて流すことも、「張り子の虎」か何かのような、見せかけの復興を派手に演出することも、私には、生活や命をおきざりにした、“お祭り騒ぎ”のようにしか見えません。

 

 たとえば、CMが不愉快でも、桜の下の宴会が不愉快でも、それは一時のことであって、自らそれを選択しないという選択の余地もあり、何より、生活や命に何ら影響や脅威を与えるものではありません。

 

 けれども、あの見せかけの派手な“復興”は、個々人に選択権や決定権はなく、否応なしに、その空気になじみ、引っ張られていくことを強いられる、という意味で、「ひどく乱暴」なのです。

 

 何か、とても大切なものを喪って泣いている人に、最初は優しくても、いつまでも泣いている人にやがて苛立ち、「いい加減、めそめそするのはやめろ」と、舌打ちの一つもし、冷淡に言い放つことのできる側面を、人間や人間社会はもっています。

 

 まだ涙にくれている、その人の手を強引に引っ張って立たせ、むりやりに引きずって、連れて行こうとする。

 あるいは、それを拒絶するなら、その場におきざりにして、“死ぬにまかせる”。

 

 それが、不謹慎でなくて、いったい何が不謹慎だ、としか、私には、思えないのです。

 

 

 

                              《(4)へつづく》