他人の星

déraciné

『沈黙―サイレンス―』―映画と、原作の両方から (1)

 

 1640年、江戸時代初期の日本。布教活動をしていたイエズス会の高名な宣教師、フェレイラが、厳しいキリスト教弾圧下で捕らえられ、ついに棄教した、という知らせに、弟子のセバスチャン・ロドリゴ神父と、フランシス・ガルペ神父は耳を疑う。
 日本へ渡り、自分たちの目で真実を確かめたい二人は、日本へ向けて立ち、途中、マカオで、もと信者だったという“キチジロー”の手引きで、日本、長崎へ密入国する―。

 話は、そこから始まっていきます。

 


 私は、幼稚園から高校まで、カトリック系の、いわゆるミッションスクールで教育を受けました。
 当然、私の意志ではありません。父が、乗り合わせたバスの中で、礼儀正しい女子生徒を見、それがたまたまカトリックの学校の生徒だった、ということが動機となったようでした。


 学校の中には、日常的に、ベールをかぶり、十字架を胸に下げたシスターの先生や、神父さまがいて、校内にはお御堂、敷地内には教会もあり、そのような学校以外を知らずに、私は、思春期の終わりまでをすごしました。

 

 加えて、中学校からは女子校でしたので、異性が同じ教室で学ぶ姿も知らずに、多感な時期をやりすごしてしまったのです。

 女子だらけの教室は、同調圧力が強く、息苦しいものでしたが、“性の争い”が起こらないというという意味では、おそらく、楽なものだったのでしょう。(けれども、私はいまでは、大変残念で、もったいないことをしたものだ、と思っています)。

 

 ともかくも、ものごころもじゅうぶんついていない頃から、「聖書」に接し、「祈り」を唱え、「神さま」だの、「イエズスさま」だの、「マリアさま」だのと口にしていると、洗礼など受けずとも、そうした存在を、“何となく”、信じるようになっていくものです。

 

 小学校、あるいは、中学のときでしょうか。


 日本史の授業で、日本のキリスト教弾圧下のかくれキリシタンについて学んだときです。信者をみつけるために、「踏み絵」を踏ませ、踏めなかったものを捕らえて処刑した、と知ったとき、とっさに、「それなら、踏んで生きればいいのに」、と思ったのです。

 

 私の知る限り、キリスト教は、偶像崇拝を禁じており、そして何より、「生きること」が大切だ、と教えているからです。

 

 踏み絵は、ただの偶像どころか、信者を捕らえるためにつくられた、もっとも悪意ある、ニセモノでしかありません。

 もし、神がいるとしたら、「ためらわずともよい、踏んで生きよ」、と言うことでしょう。

 

 

 実際、日本に潜入したロドリゴ神父は、信者たちが、残酷極まりない拷問にかけられ、殺されていくのを目の当たりにして、「踏め」と言い、「転べ(=棄教しろ)」と懸命に言うのです。


 神のしもべたる神父がそう言うのに、なぜ、言うとおりにしなかったのでしょう?

 

 そのとき私は、これはもう、宗教とか、信仰うんぬんだけの話ではないのかもしれない、と思ったのです。

 

 

                             《(2)へ つづく》