他人の星

déraciné

映画

「わたし」は何からできているのかー映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』から(4)

「社会の子」 Here I am walking naked through the world Taking up space,society's child Make room for me,make room for me,make room for me 「裸で世界を歩いてる ここにいるんだ、僕だって、社会の子どもだよ 場所をあけてよ、居場所がほしいんだ、…

わたしは何からできているのか?―映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』から(3)

「愛情」って何? どうしても、避けることのできない問いだと思います。 なぜなら、この映画は、母親のへリーンから、4歳の少女アマンダを救出し、愛情をもって育てようとした警部ドイルによって、話の本筋が動いているからです。 自分の娘を殺された過去の…

「わたし」は何からできているのか?ー映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』から(2)

母親の背後にあるもの それでは、なぜ、へリーンは、“ちゃんと”母親役割を果たすことができないでいるのでしょうか。 たしかに、子どもを育てるということは、一大難事業であって、「自分」というよりは、自分の中の「親」役割を優先的に考えなければならな…

「わたし」は何からできているのか? ー映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』から(1)

“人間を形づくるのは 自分以外の何かだ 住む街 隣人たち 家族…… 肉体が 魂を包み それを街が包み込む” 映画『ゴーン・ベイビー・ゴーン』2007年 アメリカ 映画冒頭の、モノローグです。 何年か前に、DVDを借りて見て、印象に残った言葉だったので、それだけを…

『カッコーの巣の上で』 (3)

自由と「死」 最終的に、マクマーフィは、病院(特に婦長)にとって危険分子と判断され、ロボトミー手術を受けさせられてしまいます。 そして、聴覚障害者を装っていた最初から、マクマーフィともっとも親密な関係にあったといえるチーフが、マクマーフィを…

『カッコーの巣の上で』 (2)

「自覚あるさびしがりや」 劇中を通して、マクマーフィは、何かと他人にちょっかいを出したり、頼まれなくても世話を焼いたりします。 無視ではなく、共感か、さもなくば反発か、つまり、人間関係から何らかの反応と刺激を欲する彼は、大多数の人間と同様、“…

『カッコーの巣の上で』 (1)

いわずもがなの名作ですが、最近、ようやく、DVDで初めて見ました。 すでにあらすじを知っていたので、この映画は、少し、気持ちに余裕があるときか、あるいは、映画という別の現実に没頭したいときに限られるな、と思っていたからです。 今回、後者の理由に…